どんな業界、どんな仕事であれ、社会に出て働く上で、親より何より大事と徹底して叩き込まれるヒューマンパワー。それは、段取りと根回し。 何をどうすれば一番無駄なく滞りなく事が運べるかという物事の順序を見極め、そこに関わる人たちの事情や心情を問わずとも察し、汲み取り、みんなの負担ができるだけ少なく済む方法で事なきを得んとする。それが「和をもって、やったるで!」を可能にする大和浪花の段取りと根回しの奥義である。 そして、常に先方周囲の思いを忖度し、社内外のしがらみ情勢に神経を磨り減らし、念には念の段取りで、抜かりなく事が運ぶと思いきや、そこはすんなり一筋縄ではいかぬ人の世のややこしさがあることをことあるごとに学んできた日本人にとって何が一番考えられないか、といえば、この者、店長である。 そういう気働きの大切さを教わったこともなければ、目配り、気配り、心配りというものが一滴も1mmも備わっていない店長の考え、行動のおよそ90%は、わたしから見れば、無駄、無理、無茶のひとことに尽きるといっていい。 「いや、それをするなら、まずこれを」というひとの進言、助言は一切無視して、今、自分がやりたいこと、今、自分に必要なもの、今、自分がいいと思った衝動だけで動く。つまり、発注する。結果、費用だけがかさみ、在庫だけが残され、「なぜだ!なぜこうなるんだ!」と絶叫する店長の激昂パターンを、わたしとアヒルはもう何百回、「だから、言うたやん…」と見つめ続けてきたことだろう。 漠然としていてわかりにくいかもしれないが、この者のおかしな特性は、ざっとこのような店長の日常にアリアリと見て取れる。 ・今しなくてもいいことを長々根詰めて集中してやる。 ・今しなければならない、と思った瞬間、パニックに陥る。 ・今しなければ間に合わないから各々が各々の仕事に勤しむそばからいちいち「ああしろ、こうしろ」イチャモン付けにしゃしゃり出てきて、人の神経を逆なで、まわりの志気を下げ、百歩譲って手伝っているチュンチュンの虎の尾を踏みしだき、「ほな、おまえがやれよ!」と皆が去ったギャラクシーで、肝心の自分の仕事も手つかずに、孤独ケ淵でボートを漕ぐハメになる。 ・石油仕事がパツパツの状況で、1週間後にはイラクへ、アフリカへ、という一分一秒でも惜しまれるときに、わざわざイベントを立ち上げ、「僕には時間がないんだ!」とまるでわたしたちがおまえをそんな窮地に追いやったかのような口ぶりで当たり散らす。自ら自らの首を絞めながら「僕は苦しいんだ!」と泣き叫ばれても「知らんがな」としかいいようのない自滅プランを「イベント名」を変えて、何度も立ち上げる。 ・相手に確認しないといけないことを確認せず、確認する必要もないわかりきったことを「何回同じ事訊くねん!」と怒鳴られるまで、しつこく確認する。 ・先方のOKを待ってから初めてGO! となるような「どうなるか、まだわからない」保留状態、Yes と Noの間(あわい)にたゆたう時の流れに耐えきれず、勝手にゴー、あるいは勝手に「(この話は)ナシだ!」。 「ファーーーック!!! 」の嵐を自ら巻き起こす。 ・今から出かけるぞ、もうすぐ人が来るぞ、という段になって、ガサガサ、ゴソゴソ、カメラの修理とか、コンピュータの配線のやり直しとか、今一番どうでもいい作業に没頭する。 ・いつ見ても、アレがない、コレがないと、何かを探している。さらに、今初めてそんなものをおまえが持っていたことを知らされるような石油ワークのGPSケーブルなど、どんなものかも見たこともない、相手が知るはずもない物を、「僕の麦わら帽子どこ?」くらいあたりまえの口調で、「僕のGPSケーブルがどこにあるか知ってるかい?」。 そういう手前勝手な認識力が凄まじい。 と、まあ、その手の意味不明な特徴を挙げだしたら、一晩しゃべっても、しゃべりきれないくらいキリがない。中でも、ギャラクシー史上、わたしとアヒルの記憶に刻まれた、忘れられない「店長の段取り」といえば、南仏アルルのバカンスを終えての帰路である。 アルルというのは、フランス南部にある地中海沿いの町で、夏には世界的に有名な写真フェスティバルが開かれることで知られている。 あれは3年前の夏。わたしとアヒルは店長の誘いに乗り、そして壁掛け師の正平とともに、写真フェスティバル真っ只中の南仏アルルで2週間のバカンスを過ごした。プール付き、庭付き、畑付きの一軒家は、わたしたちがイメージする「南仏プロヴァンス」の洒落っ気たっぷりに、キッチンのタイル、食器の柄、カーテンの柄、棚の飾り付けなど、そこここに、オーナーマダムの趣味なのだろう、世界共通、花柄、リボン、ピンク、動物という可愛い物好きな「おばちゃん」ならではの欧風ロマンが咲きほころぶ洋館であった。 そこで、わたしたちは、南仏プロヴァンスの太陽が降り注ぐ庭でモーニング、昼間はプールで水遊び、夕方は毎晩バーベキュー、夜は寝るまで箱ワインを石清水のように呑み倒して眠りにつく、まさに、これぞバカンス!というバカンスを過ごし、店長ひとりがブクブク肥え太ったわけであるが、問題は、店長にまかせたバカンスの帰路ルートにあった。 パリからアルルまでは、車で約6〜7時間、いわば大阪—東京を車で行く距離である。パリからの行きの道中、ランチ休憩も挟みつつ、ほぼ半日がかりでたどり着いた疲労を思い、アルルとパリの間で1泊して帰ろうと、当然、店長もそのつもりで段取ってくれているだろうというのが、わたしとアヒル、帰りのメンバーのあたりまえに暗黙の了解であった。 それが、まさか。いや、この「まさか」を予測できなかった自分たちが悪いのか、けれど、こんな「まさか」をいったい誰が予測できよう。 2週間の滞在荷物を店長ベンツによいしょと詰め込み、意気揚々とアルルを出発したわたしたちは、そこで初めて店長に、中継宿泊地を訊ねた。 「ふふふ、とても美しい村だよ。どのくらいかかる? そう、ここから4時間くらいかな。僕はねぇ、元カノと昔、そこにキャンプに行ったんだよ。星空がWOW! ファンタスティック だったよ」 いや、星空がワオでもギャオでもチャオでも、それはなんでもええとして、で、宿泊地はどこよ? の疑問だけが依然残る、店長の返し。 ただ、まあ、ここから4時間も走るなら、リヨンかリモージュか、東名高速を東京から大阪へひた走る東海道中でいえば、名古屋か岐阜羽島で1泊みたいな、とにかくアルルからパリへ北上する道の途中、フランス中心部の町に決まっているだろうと、当然それ以外ないだろうと頷き合うチュンチュンとアヒル。 しかも、そんな中継ぎの宿泊地が、そこまでwow wow身もだえするほどファンタスティックな場所なら、わたしたちとて、そりゃもう「ワオな話やなぁ」と、ことさら正確な地図上の位置を店長に問うこともなく、翌朝、アルルの町から北行きの高速に乗り、どこかに向かって出発したわけである。 延々のどかに眠気を誘う田園風景が続く高速道路を下り、円形の広場、教会、市役所、パン屋、カフェ、市場が並ぶフランスのどこかの町からどこかの町へひたすら車を走らせること4時間。店長の車は、しだいに国道を離れ、気づけばカーブのきつい山越えロードへ。バックミラーに見る後部座席のアヒルは、ジュリーのごとく「勝手にしやがれ」ということか、麦わら帽を鼻っ面にかぶせ、だんまり寝入ってしまっている。いったいどこに向かっているのか、南仏の太陽にカラカラに乾燥した褐色の林が茂るカーブを右に折れ左に折れ、もはや、カーナビのルート表示も消え去った峠道。このままハンドルを切り続けて行き着く先は、どう考えても、明日の朝、すぐに高速に乗れるような街ではあるはずがない。 そんなわたしの疑いに満ちたまなざしに気づきもせず、何を聞いても、話しかけても、真っ直ぐ前を見てハンドルを握る店長の異様なまでにはりつめた表情。やたら苦み走った眉間のシワ。そう、それは、「只今パニック中」のサイン。 案の定、道に迷ったらしい… せっかく超えた峠道を引き返すことまた1時間。そこからまた別の山道を走り直し、結局、店長がめざす目的の宿に着いたのは、日も沈みかけ、うっすら暗くなり始めた20時前。アルルを出発してからここまで、およそ7時間。ということは、どういうことか。 パリまでの長時間ドライブの疲労をやわらげる中継宿泊地までの走行時間が、なんでパリまでの走行時間と同じやねん、と。それだけ走ったら思いっきりパリに着いてまっせ、ということである。 車を降りた瞬間、全身に感じる澄み切った山峡の空気。中世の歴史がそそり立つ断崖、悠久の時を奏でる清流の水音、かつては要塞だったという山の斜面に広がる岩窟な建物、時空を超える迷路のような小径…. そこは見たこともない別世界。フランス、いや、世界で最も美しい村といわれる「Balazuc(バラズーク)」。 もし、わたしたちが、この秘境の村をめざし辿りついた旅人なら、わたしもアヒルも、その夢のような光景にどれほど心奪われ、感動したことだろう。 が、しかし、ここがフランスで最も美しい村だろうとなんだろうと、パリまでの帰路を急ぐ今のわたしたちが立ち寄る村は、絶対ここではない。 東京から大阪、途中で休憩一泊というときに、なぜ、わざわざ、信州の山間にある秘境の里に? もっといえば、和歌山から大阪へ帰る途中に、なぜ吉野熊野の山岳地帯に、誰が立ち寄るかと。その不毛な道筋を自分の土地勘でたとえればたとえるほど、ハラの底から煮えたぎり、逆巻き渦巻く怒濤の「なんでやねん」。暮れなずむバラズークの空を舞う鳥たちまでが、くちばしの前で翼を振って「ないわ〜、ないわ〜」と飛んで行く。もう、それくらい、何がどうあっても、いま、ここで、それは「ない」、店長の魔境チョイス。 そして、せっかくたどり着いたのに、こんなに美しく素晴らしいフランスの村に連れて来たのに、なぜかムスッと不機嫌なチュンチュンとアヒルに、「nande ナンデ?」と小首を傾げる店長。何が彼女たちの気に触ったのか、ああそうか、この丘の上の民宿ホテルのインテリアが、すべてIKEAで揃えたようなチープで残念なものだったから彼女たちは怒っているのだな、と、これまた大きく的外れな結論に至る店長。 「ゴメーンヌ(ゴメン:店長語)ステキな部屋じゃなくて、僕もガッカリだよ」 いや、ちゃうねん、そこじゃないねん、店長。インテリアやカーテンや食器の趣味がどうとか、この期に及んでそんなことはどうでもいいねん。謝る必要なんか、なにひとつないよ、店長。 ではなく、そうじゃなくて、われわれが今、どうにもやりきれず抑えきれない怒りに震えているのは、この状況、この流れで、「ここ」をチョイスするあんたの方向性が、断じて「ない」からなんですわ! 店長。 アルルの夜。庭のテーブルでワインを飲みながら打ち合わせたわたしたち。 「パリまでまた7時間ドライブはしんどいね」 「途中の高速で下りて、近くの町で一泊して帰らない?」 「そうだね、そうしよう」 「OK! I organaize (僕が段取りするよ)」 と、言うが早いか即座にパソコンで宿予約を始めた店長。その時、やつの頭の神経伝達物質が何をどう伝達したのかは知るよしもないが、おそらく、観光宿泊予約サイト「トリップアドバイザー」の画面を開き、アルルからアクセスできる色んな観光地を目にした瞬間、店長の頭の中から「ドライブ時間短縮、疲労軽減」という本来の目的、できるだけ快適に無理なく帰りたいというみんなの意見はすべて消去され、そこにあるのは、ただ単に「自分が行きたいところに行きたい」店長のマイウェイのみ。 そこに至るおまえの頭の中までは防ぎようがない。そこが、人の予想をはるかに超える意味不明な店長の段取りシステムの怖ろしさなのである。 「世界で一番美しい村」でさえ、「世界で一番ここじゃない村」に変える店長の段取り力。しかも、その力を思い知ったときには、後の祭りというのだから、現代を生きるわたしたちは、後でボロクソ言う以外、今のところ、どうしようもない。 世界で一番美しい村といわれる「Balazuc(バラズーク)」が、世界で一番ここじゃない村に変わるとき。 「店長がマヨネーズくらいの大きさやったら、許せるわ」という チュンチュンの願望イメージをサラサラとデッサンする正平師匠。 自我の羽を孔雀のように広げた小魔物テンチョー画。抽選で1名の方に(笑)
運がいいとか悪いとか、人が時々くちにする人生イロイロだけでは共感しきれぬ奇怪な運勢を持つ地球上生物、店長。 なぜなら、「さそ店」読者のあなたはとっくにご存知、コロンビアの奥地で石油探索中にテロに拉致され、今日殺されるか明日死ぬかという極限苛酷な捕虜生活2年の末、生還。さらに、アフリカのコンゴでは、現地のギャングに銃とナタを突きつけられ監禁されるも、見張りの隙を狙って命からがら脱出したような経験も、約3回。また、過去の本編にもあるように、NYでは誘拐犯に間違えられ逮捕寸前に追い込まれ、マレーシアでは、宿泊ホテルに戻れば、ホテルがこっぱ微塵にテロ爆破されていたという、人の一生に1度あるかないかの未曾有の惨事も、車の当てこすり事故くらいよくあることととらえて離さぬ店長の人生。 その日常、よくぞそこまでと呆気にとられるほど、あたりまえに、完璧なまでに、見事に異常な店長パターンを見るたび、これはもう運というよりおまえ自身がそういう星なのだと、冷静に忌憚なく、そうとしか思いようがない。 そして、この者。そうした数々のありえない窮地からは絶対にカムバックする空前絶後の強運(ギャラクシーではそれを、店長の “九死に一生カード” と呼ぶ)を持っているかわりに、普通にありえるささやかな「ラッキー!」は驚くほど、哀れなほど、持ち合わせていない。 まず、小さな暮らしの場面からあげつらえば、店長がお気に入りのレストラン、ショップ、商品はことごとくクローズまたは廃番となる。 店長愛用のシャンプー、ボディクリーム、デオドラント等々、「これ買ってきて」と頼まれ買いに行って、それがあった試しは一度もない。 無論、そんなヤツだけに、駐車場探しに1時間はあたりまえ、どこか郊外へとドライブにでかければ、ストライキやパリマラソンなどよりによった間の悪さで通行止め、記憶に新しいところで言えば、ホームセンターの駐車場に入ろうとするなり、クレーン車と警備の者が笛を吹いてやって来て「今から工事なので、この道は通行止め。入れないよ」と、ウソみたいな猛バックを強いられる店長だ。 先日も、ちょっと一杯ビールでもと、店長が以前見かけたというメキシカン・カフェに行こうという誘いにうっかり乗って向かったが、延々、探し回ること30分。 このノドがビールを欲してから30分も歩かされるありえなさに、辛抱たまらんチュンチュンの苛立ちは頂点に。 「あんた、いったい、どこで見たんよ!!」 「ああ、ここ、ここだよ!」と、店長が毅然と指差すその先にあるはずのメキシカン・カフェは、「賃貸」と書かれた空きテナントと化していた。 さらに、わたしは今まで、店長と共に、シンガポール、マレーシア、タイなど様々な国を旅してきたが、店長がブッキングした部屋、設備、内容がそのままその通り受付けられていたことも一度もない。通常ならありえないような手違いが必ず起こる。間違いなく、起きる。いや、起こす。 彼が尋常ではないレベルで持っているのは、そういう魔力だ。 ダブルルームで予約していたのがツインだった。 バスルーム付きで予約したのに、シャワーだけ。 オーシャンビューを予約してカーテンを開ければ、どこにオーシャン? スーペリアな部屋を予約したはずが、部屋はそらもう広々ステキ、しかし、思いっきり空調ボイラー室の横というまさかの間取り。 一晩中、「ゴォォォォォー」、「ブルブルブルッ、ドドドドー」という不気味な騒音を枕に寝るにも寝られない、なんぼなんでも「これはない」部屋を与えられるの当たり前。 あげくに、清掃スタッフが食い散らかしたみかんの皮、読み散らかした週刊誌がベッドの下に転がっている、どこがスーペリア? という現場を目撃するや、すかさず、iPhoneカメラ起動に激写。 それをまたSNSにクレーム投稿という面倒くささを人としての当然の権利と信じ、「これは、ないよなぁ」と笑って済ます術を知らない店長。 たぶん、おそらく、間違いなく、おまえの運の悪さは、すべては己の執拗なさそり座の性に端を発しているとしかいいようがない。 システムの間違いか、何かの手違いでこうなったホテルの不手際を、フェイスブック、インスタグラム、ツィッター、トリップアドバイザーなどあらんかぎりのメディアを通じクレーム発信することに貴重な旅行の1日を費やし、それを見たホテル側は、「こりゃたまらん!」と部屋交換を申し出ざる得ないところまで追い詰める、さそり刑事・テンチョー。 つまり、店長との旅行においては、ああ、やっとホテルに着いたと、スーツケースから衣服、靴、洗面化粧道具すべてのものを取り出しセッティングし、やれやれ、ちょっとくつろがせてもらおうかとベッドに横たわった瞬間に、緊急避難警報を浴びせられる住民のごとき火急の荷造りを強いられるハメになる。 「オールOK(してやったドヤ顔)今、僕は、彼らに、要望通りの部屋を用意させるオーガナイズを完了した。Soハニー、さっそく今から部屋移動のためのパッキングだ!」 いやいやいやいや、もう、ええやん! これはこれで、別にそこまで目くじら立てずとも、「なんやねん!」とちょっと愚痴れば済むような話やん。 悪いけど、この期に及んでは、要望とは違う部屋をあてがったホテルより、おまえのその執拗なまでのオーガナイズ、今からまた荷造りする方が百倍面倒くさくうっとうしいに決まってるやろぉぉぉぉぉ!!!!!! と、旅行初日はバトル曜日。楽しいはずの旅行が一瞬にして険悪極まりない別れの時となるのが店長とチュンチュンの旅のシナリオ。 もはや、わたしの中では、ヤツがフロントデスクにチャックイン。それは下手すれば30分、いや、1時間あまりのネゴシエーションタイムの始まり。 その間はただひたすら、煙突みたいにタバコを吹かし、「もう、ええねんけど…」とイラつきながら待つだけのロスタイム。 そして、ポーターに連れられ、部屋に入り、チップを渡して扉を閉めた途端、掘った穴をまた埋める不毛な作業を繰り返すような「荷ほどき&荷造り」という混沌を味あわされる。それが、店長と行く旅の “しおり” 。 そんなもんと丸4年。なぜ、居るのか?と訊かれたら、返す言葉はひとこと。 「知らなかった」としかいいようがない無知の涙。 ただ、なんだろうか。運命を共にする気などさらさらない、むしろ、できるものなら離れたい、切れるものなら切り捨てたい、が、関わり合ったが百年目。日本のわたしたちが、ことあれば「きずな」というコミットメントとは何かといえば、如何ともしがたい因縁しかないのではないか。 わたしも、そういう因果な性を生きているものではあるが、店長を見ていると、自分の運のなさなど全然まし、むしろ幸運に思えてくるから不思議である。 そして今現在、店長の九死に一生カードは、残り3枚(チュンチュン&アヒル調べ)。 それが切られるときの窮地の程を、できれば知らずに終わりたい。
贈るよろこび、もらう幸せ、プレゼント。 けれど、実際問題、どうだろう。贈る人によっては、何が好きかどんな趣味かも見当及ばず何がいいのか途方に暮れる人もいて、贈られたモノによっては、ありがとうの向こう側に、なんとも言えない忸怩たる思いを噛みしめるようなプレゼントもある。 なぜなら、プレゼントというものは、言わば一瞬にしてまざまざと、贈るひとの配慮、センスの有り無しをどうぞとお目にかける代物であり、ゆえに、日本ではひとにモノを贈るときは、「つまらないものですが」とおそれながら照れながら、「ほんの気持ちです」「心ばかりのお礼に」「お口汚しに」と徹底してへりくだる逃げ口上が、贈り手の気恥ずかしさをやわらげ、もらい手の気遣いを軽くする。 しかしながら、今やわたしも普通にクチにしているプレゼント。カタカナ外来語だけに、そもそもは外国からきた風習。ということは、我思うゆえに我ありという「主体」に満ち溢れた西洋の精神文化では、相手が気に入るかどうかよりも、わたしがこれをあなたにあげたい、贈りたい、ギブしたい!と、いま、この胸にあふれる思いがまず大切。贈ったひとが気に入るかどうか、気に入ってもらえなかったらどうしようと思い煩う逡巡などは、気にしすぎ。そのひとことで済む話といってしまっていいだろう。 贈られた人の気持ちを忖度するより、自分がいいと思ったものを自分の好きに贈る。 とにかく、まずは自分あってのアナタ。 ワタシ贈るアナタ。アナタもらうワタシ。 何に付けてもワタシとアナタなしでは語れない。それが、西洋のプレゼントなのだ。 そして、そんな強靭なワタシ=アイデンティティみなぎる店長の贈り物の数々をまずは、ご覧いただきたい。 アラブ、アジア、アフリカ、遠い外国から帰ってくるたび、スーツケースから次々取り出される土産の品々。それって、いったい、何? 一瞬見ただけでは判別不能なサバンナの草、アラビアの砂漠の砂、地質学的に貴重だと豪語するイランの石をせっせと小袋に詰め分けながら、贈るひとの笑顔を思い浮かべているのか、おだやかな幸福感がこんもり伝わる丸い背中に、わたしは幾度問いかけただろう。 「そんなもんもらって、誰か、喜ぶか?」 「誰が?ハァ?(キミは何を言ってるんだと肩をすくめるジェスチャー付で)エブリバディ・ハッピーさ!」 贈るモノはなんであれ、ぼくがあなたに贈れば、あなたはきっとよろこぶに違いない。どこをどう掘ったらそんな自信が湧いて出るのか、誰ひとり知るよしもない思考の脈が、どうやら店長にはあるらしい。 生来、無精でめんどくさがり屋なわたしなどは、どこか旅行に行っても、よほど親しい友人以外にお土産を買うことはないのだが、プレゼント魔の店長は毎回毎回、是が非でも何かをみんなに買って帰ってくる。 いや、その気持ち、その思い、その真心はやさしいよ、うれしいよ、ありがたいよ店長。ただ、何というか、そう思う気持ちだけで十分なこともこの世にはあるということをどう言えば、「ワタシ、ワカル」日が来るのか。そんな日が来ることは、店長が店長である限り、おまえがおまえである限り永遠にないことを伝えてくれる店長のプレゼント。 思い起こせば5年前。隕石の衝突くらいの衝撃とともに店長と遭遇してしまったわたしだが、正直、日本で会ったのは2回ぽっきり。それからパリに帰った店長からいきなり届いたかなり大きい額入りの写真作品。 そもそも、とくに写真に興味があるわけでもなく、自宅に写真を飾るようなスペースもなければ、欲しいとも何とも言った覚えもない。もっといえば、いっぺんも見たこともない写真を額入りで2点、好みかどうか、いるかどうか、なんの伺いもなく海外から発送してくる突飛な発想。そこに、推して知るべき店長のなんたるかは見て取れたはずだった。なのに、そのときのわたしは、生まれて初めての外国人との交流にアタフタ緊張するばかりで、英語で感謝の意を伝えることしかできなかった。 今なら、その唐突なプレゼントは、自分という存在をわたしの生活の中にガッシリ押し込んでくる意味だったと容易に推察、「誰が欲しい言うたんよ!」と斬り込むこともできるが、5年前のその頃はまだ、そこまでの余裕はなかった。自分本来のひねた目線で、「はは〜ん」と底意地悪く人の腹を探ることを怠っていた。完全に抜かった、見落としていた。わたしとしたことが…。 その後、これが店長ですの紹介がてら、幼い頃、別れたパパのレストランに行ったときのこと。パパ夫妻、弟夫婦とその息子のポートレートを撮ってくれた店長。そして翌年、きっちりその家族写真を現像し、それなりに立派な額に入れ、パパのレストランに寄贈。 それは本当にいい写真で、わたしにも家族と呼べる存在がまだあるのだということを温かくも切なく思わせるものであった。だから、それはすごくありがたく心温まる贈り物ではあることは確かであり、なんの異存もないのだが、それにしてもと考えずにいられないこの違和感はなんだろう。 すると、その写真を見ながらパパがしみじみ捻り出したひとことに、そう、そういうことよ! と膝を打つ。 「まあ、やっぱりな、こうして額入りの写真を贈ってくるという、な。そういうことは、ちょっと、わしらにはできんことや。そんなもん贈られたら、もらったら、そらもう絶対店に飾る。毎日、それ見て、撮ってくれたもんのことを思うがな。アレ(店長)は、アレやな、プレゼントひとつにしても、ちゃんとそこに自分という存在をきっちり置きに来よる。何にしろ、わしらに “ないもん”、持っとることだけは確かやで」 いい意味でも、イヤな意味でも、ないもん持ってる。まさしく、それに尽きる。 それにつけても、なぜ、英語のプレゼント(present)は、現在、今というpresent と同じ綴りなのか。そして、存在を表すプレゼンス(presence)と似た言葉なのだろう。と、英語のコトバからたぐり寄せ考えると、店長世界のプレゼントの意味するところがズッシリ肩にのしかかるように伝わってくる。おそらく、それは、「今、あなたをこれほどに思っているわたしは、ここに!」 と自分の存在を託し、贈り、示すモノ。プレゼントとは、そういう代物なのだ。 サウジアラビアの砂一粒、イランの荒野の石ひとつ、どんなおしゃれなクリエイターのお宅もこれさえ履いてウロウロするば完璧にダサくなること確実なアメリカ・ミズーリー産のフリースパンツetc 、 そんな数々のプレゼントをもらったわたしたちは、そんなつもりはなくとも、そのモノに託されたその存在、そう店長をも受け取ってしまっている。 そして、たとえモノ自体はなんであれ、じわじわとありあまるほど思い知らせるのだ。 はちきれんばかりに詰め込まれた店長のメッセージを。 「ワタシ、ココニ! 」
ハートブレイクもサクセスも色とりどりに味わったニューヨークを後に、大好きなグランパが暮らすミズーリ州モネットへ向かう店長。 思えば、わたしがパリに来て3年あまり、オイルビジネスとギャラクシーライフの間を見ては、じいちゃんに会うためのアメリカ行きを画策、計画し、航空券を予約する寸出のところで腎臓結石やら盲腸やらの足止めをくらってきた店長だ。おそらく今回、店長が、多少の無理はしてでもNY展参加を決めた心情には、ミズーリのじいちゃんとの再会含め、思春期から青春期を過ごしたシカゴなど、懐かしきアメリカへの里心も幾分あったはずである。 いよいよこの巻では、店長アメリカ物語の大トロ部分にあたる衝撃の事件があきらかになるのだが、その前に、愛してやまないケントじいちゃんと店長のつながり、その背景にある店長の家庭事情についてもう少し語っておきたい。というのも、じいちゃんに会うためだけに米国の南西部ミズーリまで行きながら、自分の家族が住むコロンビアにまでは足を延ばそうとはしない、家族が暮らすコロンビア・ボゴタに帰りたい、両親や姉に会いたいなどという言葉を今まで一度も発したこともなければ思ったこともない店長だ。店長が「スペシャル」と表現する生い立ちを知ることで、この者が持つ特異な運命と特殊な性格の所以がある意味妥当と納得できたりするからである。 まずは、本サイトにある「さそり座の店長とは」に示した店長家系図をざっと一瞥していただきたい。 店長が生まれ落ちた家庭環境は、一般的な家族のカタチに照らし合わせば、かなり多彩に多妻に込み入っている。 父親のアルフレッドは、店長の育ての母親である本妻のほか5人の女性ともそれぞれに愛情関係を持ち、それぞれに2人ずつの子宝に恵まれている。 そして、認知と養育費という男としての責任、本家の父としての威厳を両肩にドンと背負う度量と甲斐性だけはあったというべきか、店長の父、アルフレッドの女性たちはみな、生まれた子を自分の元で育てるに至っているが、店長の産みの母は店長を産み落とすとすぐ亡くなったため、店長だけが本家・アルフレッドの元に引き取られたというわけである。ちなみに店長の母はシカゴ在住で、店長の本当の出生地はシカゴ。けれど、彼の戸籍謄本、ID、パスポートの出生地は、コロンビアの首都ボゴタ。何かにつけて、「なんやねん!」「どないやねん!」「どっちやねん!」の混沌にまみれた店長のめんどくささは、彼が誕生した初っぱなから決定づけられていたのかもしれない。 そして、この父・アルフレッド。店長がそんな父に抱く感情とは別に、あかの他人のわたしから見れば、ともすれば誠意ひとつの話し合いでは折り合えないこじれたひとの感情にひと区切りのケジメをつけるに必要な経済力、なるほど女性陣たちを魅了してやまないのもうなづける往年の二枚目俳優のような秀眉な顔立ちを持ち合わせたやつであったことは、間違いない。なぜなら、よそに愛人や腹違いの子が大勢いても、「それが何?」と我関せずの心持ちで何不自由なく育つことができたのは、これをいうと真っ向から「I don’t think so」と完全否定してくる店長だが、そんな南米サクセス移民ファミリーのドン、アルフレッドのおかげといえるところはあるだろう。 なにしろ、たとえ父の浮気、愛人、隠し子という複雑な家庭環境ではあったにせよ、夜中にいきなり愛人が押しかけてきた、あるいは母親に手を引かれ連れて行かれたスナックでお母ちゃんと知らない女の人が髪の毛つかみ合ってもみくちゃに怒鳴り合うのを泣きながら見ていた… というような母親と愛人の修羅場やドロ沼の痴情のもつれに幼い心をいためた記憶は一度もないことは店長の数少ない幸運の最たるものだと、わたしは思う。 そしてまた、こう言っては何だが、ともすれば「子どもがかわいそう」といわれてしまうような愛人と腹違いの乳兄弟が数え切れないほどいる生い立ち環境ではあっても、そんな世の常識や予想に反して、すくすくと、今現在もぷくぷく成長し続ける店長。 その半生をわたしなりに分析すると、普通はまま起こりうる問題、およそそうなるであろう困難からはまぬがれ免除される確率が高いことに気づかされる。が、その代わり、普通は起こりようもないような災難、まさかのトラブルを当てる確率は、4打席連続ホームランを記録する打点王なみの異例といえよう。 そんなわけで、このたび店長が8年振りに会いに行ったグランパ・ケントじいちゃんは、店長が名前すらしらない「産みの母」の父親である。 じいちゃんも、その名を口にすることも、娘(店長の母)のことをことさら語ることもなく、店長もそれを敢えて訊ねることはない。 血のつながりは、さも、切っても切れないつながりだが、それが、人が人を思う絆になるかといえば、それはそうとも限らない。 わたしも幼いときからそう思ってきただけに、そういう店長の一見冷淡に思える沈黙の機微には深くうなづけるところもある。 現在もコロンビアやアメリカに暮らす父や母、姉や妹のことは家族として大切に思う気持ちはあるものの、そんな彼らに対する店長のまなざしは、非常に客観的であり、自分とは相容れない性格、考え方、価値感を持つ最も近い他人というドライで冷めた家族観を持っている。が、このケントじいちゃんに対してだけは、ただただ理屈抜きに、じいちゃんが好き! と、なついて、なついてたまらない、おじいちゃん子のそれだ。 たとえじいちゃんの政治イデオロギーに賛成できるところはまったくなくても、たとえトランプ支持派であっても好きな気持ちは変わらない、店長が慕ってやまない唯一の存在。それが、93歳のいまも、わたしにはどことも知れぬミズーリー州にあるモネットという町にひとり暮らすケントじいちゃん、グランパなのだ。 ニューヨークからシカゴへ、そして名前の響きだけでバーボンとブルースが指を鳴らしてボボボンボボンと迫ってきてほしいような名前の街・スプリングフィールドへ飛行機を乗り継ぎ、そこからルート66を西へ向かってえんえん車を走らせ、93歳のグランパ(おじいちゃん)が待つモネットへ。 「ハニー、今、僕はアメリカの心臓部を走っているよ」 と、日本で飲み歩いているわたしのもとへ時折届けられる店長のメッセージ。 アメリカ大陸のどこにも足を踏み入れたこともなければ、州の名前も地理もさっぱりわかっていないわたしが思い浮かべられるイメージといえば、広漠と赤茶けた大地にサボテンが立つ荒涼なアメリカンロードをさも懐かしく眺め見やりながら、ここぞといきってアクセルを踏む店長の得意満面のドヤ顔だけだ。 それって、言ってみれば、「東名高速から中央道出て、小牧からようやく名神。あ、そろそろ滋賀入るわ」みたいなことかいな。と、それが世界のどこだろうとわたしのマップに引き寄せ置きかえ初めて「もうすぐやん。気をつけて」となるチュンチュンもまた、どこまでも狭い日本列島の了見を脱することなき者である。 卒寿九十を超えても尚かくしゃくと元気なグランパの笑顔を見て、ああ、会いに来てよかったと、グランパへの思いひとしおな店長。 グランンパの向かいにはグランパの息子夫婦が住んでおり、日常の買い物や病院に行くなどの世話は彼らがしているが、その息子夫婦はグランパの本当の気持ちをわかっていない、話し相手にもならなければ、白内障のグランパのケアも十分ではない。だから明日、朝一番で、「僕がグランパを眼医者につれていくんだ」という店長の不服と批判。傍から見れば、それはいわば、何年ぶりかにたまに都会からやってきて、毎日面倒見ている本家の「義姉さん」にああだこうだケチをつける小姑のそれであった。 東京とミズーリ。12時間の時差も考えず、ひっきりなしに店長が送ってくるグランパの生活、グランパの日常をしみじみと思いながら、考えさせられたことがある。それは、老後の独居、老後の寂しさ、老後の孤独をさも哀れなものとして、世間も本人も悲しめに思いすぎる日本の風潮だ。 毎朝、しわしわの痩せこけた腕で小麦粉ミックスをかき混ぜ、パンケーキを焼くグランパ。雑然と自分の興味や関心のある本や物にあふれた部屋には、絵描きでもあり美術教師だった頃の作品や若かりし頃の家族の写真が飾られ、夜になると長年慣れ親しんだ長いすに横になり、なんの酒だろうか、自分でろ過して貯蔵したアルコールをちょっと舐めるように飲み、眠りにつく。 そして、スーパーやレストランにお出かけの日は、ここぞと政治メッセージ色の強いTシャツに着替え、社会に物申す個の気概を失わないグランパ。 そのライフスタイルは、極めて気ままなひとりぐらし、でしかない。ダイナーで頬ばるピザの味、食後になめるソフトクリームの味は、初めてそれを食べた5つの頃から93歳のいまに至るまで「おいしい」のひと言。なんら変わらない。きっと、ひとが年をとるというのは、そういうことなのかもしれない。それは、ことさら哀れなことでも、ことさら素敵なことでもなく、あたりまえのこととして。 グランパと過ごす日々に、何を思い、何を感じたのか、自分の思いや感慨をすくうように言葉にする情緒的な話はほんまに苦手なサイエンティストな店長だが、久しぶりに訪れ見たアメリカの町、アメリカの人々、アメリカの現状について、良くも悪くも、変わらないあきらめと確信を得たようなことを洩らしていた。 そして、「また必ず会いに来るから!」と固いハグと約束を交わしグランパの家を後にした店長は、その日中にまたスプリングフィールドからシカゴに飛び、翌日にはパリに帰国するはずであった。 さて、ここまで引っ張りに引っ張られながらも、まだかまだかと読んでくれている辛抱強いみなさん。お待たせしました。まさかの「アメリカ入国不可」も空振りに終わったNYも、すべてはこの時のためにあったのかとのけぞるような店長の大一番。 今日の、そのとき、は、ここからです。 その朝、学芸大のレンタルマンションで目が覚めたチュンチュン。 朝一番の尿意に身を起こし、枕元の携帯を手に取ると、えっ、 なにコレ?? 犯罪映画かドラマのメインビジュアルのように、あやしげにカメラを見つめる店長と女性の写真に「誘拐犯容疑」のタイトルが打たれたニュース画像。 そして、アヒルからのやいのやいののメッセージ。 「チュンチュ〜ン、起きた? 起きた? 店長が、店長が、誘拐犯で捕まってる〜!!!!」 いや、ほんま、しかし、だから、なにが? 信じられない事実をつきつけられたときに浮かぶ言葉というのは、せいぜい、そんな程度だ。 とにかく、「フォーカス!」ばりの店長ニュース画像をクリックし、あたりまえだが全文英語で書かれた記事をどうにかこうにか読み込めば、そのモネットの町で誘拐未遂事件が起きたことはわかった。が、だからといって、そこでなぜ、おまえが捕まるか。 そのモネットの新聞によりますと、木曜の夜、モネットの小学校か中学校だかでサッカーの試合があり、その観戦中に、10歳の男の子が誘拐未遂事件に遭ったと。言葉たくみに連れ込まれた犯人の車から無事脱出したという少年の供述では、犯人は、長髪でメガネをかけたフランス人らしき男とブロンドの女性。で、そのサッカー観戦に来ていた市民のひとりが、この辺では見慣れぬ不信なヤツと、こっそり店長を携帯で写し撮った写真を「きっと、こいつらが犯人ではないか」と警察に持ち込んだ1枚の写真で、「モネット中学校誘拐未遂事件」の容疑者として警察に連行され事情聴取を受けることになった店長。 そんなこと、普通、あるか。いや、普通はないだろう、店長以外。 一応、いま、店長がどういう事態に陥っているのかは、おぼろげにも理解できたチュンチュンとアヒルだが、そんなふたりの疑問は、「で、どうなるの !?」。 しばらくして、店長から届いたメールには、事情聴取の結果、容疑の確証を裏付けるものは何も出ず、ふたりの容疑者は開放されたというモネット町のオンラインニュースが添付されていた。またそれを、電子辞書片手に読み解きながら、ああちゃうか、いや、こうちゃうかと、パリー東京の交信チャットにいそがしく喧しいチュンチュンとアヒル。 容疑が晴れたのなら、とりあえず一件落着ではないかと、店長にメールを送るも何の返信もない。と思えば、いきなり、「ハニー、僕は今、セントルイスの友人の家に向かって車を走らせている。警察は僕を追っている。パリには帰れないかもしれない…」という、次から次へと疑問と不安しか与えない断片的な事実の切れ端のみを送ってくる理系な店長。どうやら、モネットを後にした店長を逃すまいと、市民タレコミの店長フォト(上の写真)を手にしたポリスが高速道路から空港に至るまで捜査網を張り巡らせ、店長の消息を追っている。そんな意味不明なスリルとサスペンスの渦中にある、店長のミッドナイトラン。 もういい。もうわかった。とにかく、あんたは逃げている。で、そこから自分、どうすんの? と、こちらが何を質問しても、返事はない。 しばらくあって、店長から来た続報はこうである。 「ハニー、アモール、僕はいま、セントルイスの友人の家にかくまってもらっている。たったいま、新たな警察の事情聴取を終え、身の潔白が証明された。その記者会見のテレビ取材のために、スカイプの待機中 NOW 」 えぇぇぇぇぇ、あんたテレビに出るのぉぉぉぉ!!!! しかも、まさか、NY出発前、あわや店長アメリカ入国不可の危機に備えたアヒルとわたしの軍議の中で飛び出した「スカイプ」ネタが、いまここで回収されるとは。 もう、何が何だかおののきたまげ、あわわ、あわわとアヒルに打電し、店長テレビ出演の一報を流すチュンチュン。Webマスターのアヒル、出演動画の保存キャプチャー待機という連携プレイにより捕獲した店長テレビ画像は、こちら! そして、容疑が晴れた記者会見のテレビ放映後、まだあるか、「逮捕状請求の危機」を報せる店長のメッセージ。 直訳すると、 「僕は今、新たなポリス(合衆国にどんだけいるのか、新たなポリス)に身柄を拘束されている…」 そんな店長の一報を受けて。 アヒル「新たなポリスって、捜査2課から捜査1課、みたいなもんか? もしくは所轄から県警、みたいな?」 チュンチュン「たぶん店長、モネットからセントルイスに移ったから所轄が変わったんやろ。静岡県警から群馬県警、みたいな」 アヒル「なるほど」 しかし、このまま店長が無罪の誘拐容疑でアメリカの拘置所に入れられてしまったら、自宅のアパルトマンからギャラクシー、いったいどうしたらええねん! そんな、如何ともしがたいことしか待っていないパリに戻ることを、正直、悪いけど、「やめさせてもらおう」と思うしかない東京滞在中のチュンチュンであった。 セントルイス市警の取り調べは、同じくモネット誘拐未遂事件の容疑者にされてしまった店長の姪っ子・レベッカさん(モネット在住)の懸命な供述と証言によって訴追はまぬがれ、ポリスからも「疑ってゴメン」みたいな軽い謝罪もあり、無事放免。「今から空港へ向かう」という店長のメッセージに、ようやく一件落着と思いきや、その後、シカゴの空港のアラームが鳴り、空港警察に取り押さえられた店長から、「ハニー、僕はパリに戻れないかも知れない」というメール。もはや、そんなおまえにかける言葉があるとしたこれだけだ。 「もう、ええわっ!」 刻一刻、大丈夫じゃない方へ、なんでそーなるかの鐘が鳴り響く方へと進んでいく店長ドラマの展開を追いながら、ああ、これは明日、羽田からアメリカに飛び、モネットかセントルイスの警察で、金網越しに店長と面談しなければならない自分の今これからを想像し、五臓六腑総動員の深いため息にうっかり魂まで吐きそうになったわたしである。 このまま店長がセントルイス警察に拘留されてしまったら、それこそ、アヒルよ。わたしら、ケントじいちゃんを車イスに乗せ、「Not guilty!Tencho」のビラをどこかわからん駅前で撒きながら片言の英語で店長の無罪を訴える日本人になるしかないことになるがな。 チュンチュン「まあ、行くしかないゆうても、モネットって、セントルイスって、どこや? みたいな話やけどな」 アヒル「たぶん、アメリカの南の方の真ん中あたりやろ、ゆうてな」と、そうなったらそうなったで、じいちゃんには、「無罪」の二文字を胸に刻んだTシャツを着てもらい、店長のえん罪を訴えんがためモネットの駅前で辻立ちすることになるのはやむを得まい。そんな、なんの縁もゆかりもない3人が遥かアメリカの地で共に闘う姿を想像しながら、どこまでもわけのわからん人生の何たるかに瞼を閉じ、観念するわたしであった。 とはいえ、次から次へと最悪しか呼び寄せない疫病神のくせに、最後の最後は結局助かる九死に一生運だけはものすごいやつだけに、シカゴ空港警察の取り調べをどうにか交わし、無事出国ゲートにたどり着いた店長。もうええ加減、終わりにしろと念押しに問いかけた返事はこれ。 「ハニー、アモール(もうええっ!ちゅうねん)、アメリカの警察はどこまでも追ってくる。フランスの空港に、インターポール(国際刑事警察、“ルパン三世” 銭形警部)が待ち構えているかもしれない」 どこまでもひとを安心することを許さない店長に贈る言葉。 「ほな、もう捕まれや!」 なにがなんだか、ありえない誘拐容疑の汚名をかぶり、シャルル・ド・ゴール空港に落ち延びるように降り立った店長のうめきにも似たメッセージ。 「ハニー、アモール、僕の人生は、なぜ、こんなスペシャルなことばかり起こるんだ」 嘆いてるのか誇ってるのか、訳すに困る英語で心中を投げかけてくる店長に言える言葉もまた、これしかない。 それもこれも、全部、「おまえやねん!」 と、これが、昨年の9月に巻き起こった店長のアメリカ物語の一部始終である。 おまえが動くと、何かが起こる。 そんなおのれの何たるかを知ることなく、今日はイラン、明日はアメリカ、明後日はオマーンへ、動き回る店長がいる限り、この地球の片隅にいるチュンチュンに、平穏の二文字はない。
マレ地区にある店長ギャラクシー界隈には、アート系のギャラリーが軒を連ねている。その多くは、どちらかというと奇抜で前衛的な現代美術を扱うギャラリーが多く、雰囲気も空気も気取りなく若々しい。 そんな中、ギャラクシーの前にある老舗ギャラリーだけは、その他のギャラリーとは趣の異なる重厚な風格を漂わせている。さもパリらしい風情をかもす中庭と小径(パサージュ)を持つ大御所ギャラリー、その名も「Z」。この界隈に今ほど多くのギャラリーができるずっと前、何もない殺風景な通りにアジア人の飲食店や食料品店がまばらにあるだけだった25年前、この通りに初めてギャラリーを作った草分け的存在がこの「Z」である。 6月のある日のこと。その「Z」のマダム、通称マダムZが、ひょっこり向かいの扉から現れ、「ボンジュール」とギャラクシーにやってきた。 展示中の写真作品を見渡したマダムZ。 「すてきだわ」「すばらしいわ」と大層興奮気味に嬉しそうに切り出してきた、いい話。 それは、マダムZが主催する「秋のフォトアート祭り in NY」への出展参加の誘いであった。 マダムZと店長の会話を小耳に挟みながら、次第に店長のその気、やる気、行く気がムクムクと高まっていく様子をつぶさに伝えてくるアヒル。 「帰ってきたら話すと思うけど、店長、NY、行く気やで。これはもう何かが起こる予感しかないわ」 その「マダムZ」が持ちかけてきたNY出展話というのは、こうである。 そもそも「Z」は、パリのみならずニューヨークにもギャラリーがあり、毎年、コレクター達を招いた秋のアートフェアなるものを過去10回以上主催している。そこで今年は、ロンドン、パリ、NYの個性的な写真作品を扱うギャラリーが参加しての「フォトアート・フェア」を大々的に行う予定であると。 ついては、NYでも注目度の高い日本の写真を扱うギャラリーとして、店長ギャラクシーにぜひとも出展いただき成功をおさめていただきたいと、なるほど、いい話である。 「どうするの? 行くの?」と問うチュンチュンに、何やら思い渋った様子で「maybe… but I don’t know」と、煮え切らぬ返事の店長。 思いあぐねる理由。それはもちろん、かなりの出費となるであろう参加費、渡航費、滞在費をどうするか。 なぜなら、たとえチャンスはチャンスでも、それならばと早々やすやす即決できるような金額ではない。 さらに、アートフェアの展示準備スタッフの確保という問題もある。 NYには、店長の姪っ子がいるとのことで、事前の準備は彼女に頼むとしても、右腕となって動いてくれるスタッフが必要だ。 通常なら、あんたの仕事はあんたのことと、凛と冷たく聞き流すわたしだが、さすがに、ニューヨークとなれば、話は別。 NYかぁ。NYといえば、一世を風靡したアメリカのドラマシリーズ「Sex and The City」に一時期ハマりまくっていたこのわたし。 キャリーが住んでいたアッパーイーストのアパルトマン、キャリー達の行きつけのカフェやショップがひしめくドラマの舞台マンハッタン、ウエストビレッジ、ブルックリンを歩いてみたい。行けるものなら行ってみたい。 わかった、わたしが、このチュンチュンが「行ったるわ!」と名乗りを上げるも、そんな遊び心いっぱいのミーハーな決意を即座にへし折る四角四面の店長。 「ハニー、アモーレ、プリンセス(誰がやねん…) これはビジネスなんだ。自由時間などどこにもない。額の買い出しや展示の額装、壁掛け、1日、1時間、1分たりとも、遊んでいるヒマなどないんだよ」 これ以上、面白みのない返答に一気に興ざめ、怒りも露わに吐き捨てるチュンチュン。 「ふん、誰が行くか。気分悪いわ!」 その翌日。知らぬまに店長のNY行きはすでに決心済みであることをアヒルから知らされる。しかも、NY出展アシスタントとして店長に同行するのは誰かといえば、ほかに誰がいるであろう。店長銀河で一等輝くバイトの星・アヒルが、店長と共にNYへ旅立つこととなったわけである。 アヒルにしても、いつか機会があればと憧れていたNY。何しろそこは、アヒルの大好きなエンターテイメントの聖地。店長がいるNYに待ち受ける困難、わざわい、面倒、ストレスがどんなものかは勝手知ったるアヒルでも、NYのブロードウェイで、あの不朽の名作ミュージカル“CHICAGO”が見られるドリームに誘われ、店長と暮らす2週間のニューヨーク・ライフへ突撃する覚悟を決めたようである。 が、NY出陣を待たずして、出た、来た、マジか!? の「まさか」が踊る店長商店。NY出発前3週間という際になって、飛び込んできた衝撃の事実。 「店長、アメリカ入国不可!?」 そのタレコミ速報を送ってきたのも、これまたアヒル。 が、なぜかその日のアヒルの文面には、さあこれからどうなるか、そこからの展開を面白がるいつものふざけた覇気がなく、代わりに、万に一つのハズレを引いてしまったような、ヘナヘナと膝を折ってその場に倒れ込む当事者の悲愴とやりきれなさが滲んでいた。 どうしたアヒル!? なにごとか?と訊ねても、「店長から聞いて…」と、それ以上語る気力すら失われたアヒル。 「ありえないことしかありえないギャラクシー展開には慣れたと、ああ、慣れたさ、と思ってきたわたしやけど、今回のこれは、こんなことありか? というレベルや…」 店長に、そしてアヒルに、何が起きたのかー じつは、2016年に起きたパリの同時多発テロ襲撃事件をうけ、アメリカではテロリストの渡航入国を防止する新法が施行されたていた。その新法によると、日本やフランスなどこれまでビザ取得が免除されている国籍の渡航者であっても、2011年3月1日以降にイラン、イラク、スーダン、シリア、リビア、ソマリア、イエメンに渡航または滞在したことがある者はビザ申請が必要というものである。(公務、人道支援、報道等の目的による渡航に対しては個別に審査された後に免除される可能性あり) つまり、イラン、イラク、スーダン、シリアなどへ入国履歴がある者は、その理由や目的が「テロリストとは無関係」であることを証明した上で、特別措置の入国許可のビザ証を受け取り、初めてアメリカに入国できるというわけだ。 2011年以降と区切られるまでもなく、それ以前からも毎年のように、それこそ先月もイランへ、去年はイラクへ、むしろ、そんなヘビーな国にしか行っていない店長のパスポートは、危険国のスタンプラリーか、というほど、その手の国の印とビザ証に埋めつくされている。そんな者がJFケネディ空港の入国審査を通過できるか否か。どう考えても「否」である。 ならば、特別ビザを申請すればよいのだが、申請取得に必要な書類を集め、面談日を予約し、ビザの許可が下りるまでは3週間から1ヶ月、下手をすればもっとかかる。そんな新法ができている事実を知った5日後には東南アジアに飛び、そこから8月26日にパリに戻り、8月31日にアヒルとNYに向かう予定の店長に、特別措置のビザ申請を行う間はどこにもない。 というわけで、もし、というか、案の定、アメリカに入国できなかったとなると、店長ありきのNY展を一手にまかされてしまうのは、他の誰でもない。 ご存知、バイトの星・アヒルだ。 いや、これが単なる観光旅行なら、NYでもLAでもひとりで行って楽しんで帰ってくればいいだけなのだが、今回のNYは、展示プロモーションも含めたビジネスである。フランス語は話せても英語はムリ!というアヒルが単身NYに乗り込み、訪れるニューヨーカー達を相手にあの手この手のジャスチャーかパントマイムかで写真作家の魅力と価値を伝え、売り込み、アートフェアを成功させる。 誰がどう考えても「それはない」。 どんなに大丈夫じゃないことでも、どれほどありえないことでも大概のことはすべて他人事と適当に 「ca va 大丈夫よ」「c’est normal よくあることよ」「c’est la vie 人生そんなもんよ」と聞き流すフランス人ですら、 「もしかしたら入国できないかもしれないんだ」 「え、そうなったら誰が?」 「アヒルだよ」という店長の言葉に深い憐憫と苦笑をもらすほど、ムチャな話であることはいうまでもない。 僕が漕ぐから大丈夫と、威勢良く、サクセスの大海原を渡るはずの店長号。それが出航するやいなや、「さあ、ここからはひとり、見事泳いで帰ってこい!」と、いきなり轟爆のうずしお海峡に突き落とされるアヒルの受難。それもこれも、方法とルートさえ伝えれば、ひとは何でもできるという自分勝手な思い込みだけで生きている店長のせい、としかいいようがない。 万一、自分が入国できない場合にそなえ、NYのギャラリーの住所、アパートの住所、姪っ子の連絡先、額はこの店に注文しているから何日に額を受け取り、何日に搬入して… と膨大な説明を矢継ぎ早に一気にドッサリ伝えること。それが店長のベスト・ソリューション。 「さあ、これで何がどうなっても、何の心配もないよ、アヒル」と、ひとり力強くうなづく店長から渡された1トン級の鉄アレーを半分白目で受け取り、白目のまま走るしかないアヒルであった。 なんというか、こういう事態に陥ったとき、わたしが何より釈然としないのは、この窮地が、まるで誰にでも起こりうる致し方なき世の定めのような口ぶりで、「さあ、共に乗り越えよう」と旗を振り鼓舞してくるおまえ、あんた、貴様こそが、そもそもの発端であることを当の本人がまったく自覚していないことである。 たとえ、アメリカの法律がそうであるにせよ、毎度毎度、なぜ、そういう不穏な世界の網の目にまんまとピンポイントで引っかかるのか。 引っかからずに済む者も、この世には五万といる事実を眺め見よと。 まずは自らを自ら見つめ、かんがみ、ひれ伏す視点に立ってみれば、ペラペラと出てくる嫌味な英語のフレーズも違ってくると、わたしは思う。 「わがが、わががの“我”を捨てて、おかげおかげの“下(ゲ)”で暮らせ」そんな大和ごころを異なる星の異なものに唱え続けてはや4年。 「ワレ思うゆえにワレあり」のアイデンティティが掘を固める店長の牙城はいまだ腰を折ることなく、我こそはとそびえ立っている。 そんなわたしのスピリッツを英語でいえば、 「アイ、アイ、アイ、アイ、アイデンティティの“ティ”を捨てて、ユー、ユー、ユー、ユー、サンキュ、サンキュの“キュ”で暮らせ」 と言っているようなもので、それはもう、イングリッシュな店長には、何を言っているのか、何が言いたいのか、なんぼ言うてもわかるはずなどないのだが。 そうして、店長が入国できるか否かはJFケネディ空港に着いてからのお楽しみのまま時は過ぎ、その間、店長はオイル仕事で東南アジア各地へ。 かたやチュンチュンとアヒルは、万が一、いやもう十中八九、百発百中、空港のイミグレーション審査で、店長とバイトが生き別れになったときのシュミレーションをあれやこれやと思い浮かべ、その瞬間を想像すればするほどハラの底から込み上げてくる不条理な笑い。 JFケネディ空港の入国審査ゲート。いかにも強面なブラックアメリカンの審査官が怪訝な顔でパスポートとパソコンデータを交互に睨み照合するその緊迫とスリル。そして、何やらよくわからない英語で押し問答したあげく、激しく鳴るアラーム音。駆け付けた空港ポリスに取り押さえられ、脇をつかまれ引きずられるように、パリへと強制送還される店長ー。 ああ、誰かと声の限りに叫ぶ願いは、「誰か、カメラ、回して〜!」 「いやでも、もし、ひとりNYの展示場に捨て置かれることになったらもう、店長にはスカイプに張り付いてもらうしかないわ」 「アヒル、それや!展示ブースの真ん中のパソコン画面には常に店長が映し出され、写真にまつわる熱いスピーチを語り続ける。そして質問や興味のあるひとは、パソコンに向かって店長と対話することができる。アヒルはただそこに漫然と腰掛け、誰かが何やら英語で話しかけてきたら、「Yes, so… follow me Plese(ええ、でしたら、どうぞこちらへ」と、パソコンの中の店長に向かわせたらいいだけや。なんかこう水槽の中の脳ミソが指令を出すみたいなカルトファンタジーなギャラクシー展開をNYの皆さんにお届けしよう!」 「つまり、わたしはその「Follow me Plese」だけ覚えといたらいいわけやな」 「そういうこっちゃ」 と、店長不在のNYを切り抜ける秘策を見出したからには、店長とアヒルには悪いがここはひとつ「生き別れ」ていただくしかない。 「ソフィーの選択」か「大地の子」か、数々の名画ドラマの生き別れのシーンを思い巡らせ、それこそ銀河鉄道999のメーテルと鉄郎の別れのシーンさながらに、まさに因果鉄道ギャラクシー史上に残る爆笑名場面が生まれるであろう「そのとき」を求めてやまないわたしであった。 そして、当のアヒルとて、NHK『そのとき歴史が』松平定治アナの「今日の、そのときです」の名調子とともに、JFケネディ空港の入国審査窓口のあちらとこちらで、店長とバイトが生き別れる「そのとき」を、みずからもぎとる千載一遇のチャンスを、身を捨ててでもつかむ覚悟を決めていたことは確かである。 だが、しかし、望んだことは決して起こらぬギャラクシー。 なぜ!? ここで、そう来るか…。 8月31日 「そのとき、店長が帰らされる」今日のそのときへ向け、シャルル・ド・ゴール空港からNYへ旅立った店長とバイト。 今か今かと、腹をさすって笑いよじれる準備万端、ひとりニヤニヤほほ緩ませて寝ずに待っていたわたしのもとに、深夜3時をまわる頃、携帯を揺らすアヒルからの悲報。 「店長、入国」 なんだろう、この失望感。なんだろう、このさんざんジラして期待させて、これか? という欲求不満。 いや、入国できたら入国できるに越したことはない。が、ここで一発、わたしたちが欲っしていたもの、求めていたものは、断じてこのような無事、安堵などではない。 こちらの思惑通りには、決して、しない・させない・いかせない。ひとが思いもよらないことしか与えない。店長サプライズの厳しさ、忌ま忌ましさ、うっとうしさを目の当たりにしたかに思えたNY無事入国。けれど、そんな店長サプライズの恐ろしさをわれわれが思い知るのは、このNYの後、もうすこし先の話である。 とにもかくにも、目立った難なくNYのアパルトマンにたどりついた店長とアヒル。そんな2人を待ち受けていたのは、聞いていたマダムZのふれ込みとはどうも違う「アートフェア」であった。 というのは、NYの一等地のギャラリーで開催されるフェアにしたら、あまりにも訪れる来客数が少ない。パリ・ニューヨークを股に掛ける老舗ギャラリーのマダムZ、おそらくこれまでの絵画アートのフェアでは、何の宣伝努力をせずとも、すでに顧客に名を連ねるコレクターたちがこぞってやって来たのだろう。だが、今回は、マダムZ初めてのフォト・アート・フェア。既存の絵画アートを求めるコレクター層とは違う「写真」を求めるターゲット層を呼びこむためのプロモーションや宣伝を一切せず、誰がそれを知るというのか。 パリ・ニューヨーク・ロンドンからマダムズ・フェアに参加していたギャラリーの人々から噴出する割に合わない不満と文句。そんな人々の思いを一手に引き受け、ここぞとリーダーシップを発揮する者がそこにひとり。そう、店長だ。 […]
夏も近づく6月末。梅雨などないはずのここパリが、来る日も来る日もどしゃ降りの豪雨続き。郊外では洪水被害が発生し、花の都を流れるセーヌ川も危険水位に達するほど増水し、千年に1度の水害が危ぶまれていたちょうどその頃。 店長ギャラクシーでは、ナイジェリアの来賓をもてなす食事メニューの打合せ、買い出し、仕込み準備に追いまくられるチュンチュン&アヒル。 というのも、来たる6月21日から3日間に渡り、ここギャラクシーにて、ナイジェリア石油関係者を招いての店長白熱教室、名付けて「地球エナジー最前線!店長が語る、ここ掘れ!オイルセミナー」が開催され、そのセミナー期間のケータリングサービスを、このわたしたちが請け負うことになったからである。 アフリカのナイジェリアの方々のお口に合う料理がどんなものかは見当もつかないが、それを耳にした瞬間には、もはや待ったなしの急務を迫る店長スケジュール。 例によって例のごとく、「できますか? できませんか?」の伺い、「その日、開いてる?」というような確認抜きに、知らないうちに勝っ手に「ケータリングスタッフ」としておまえのプランに組み込まれ、その話を聞いたときにはすでに「やるしかない」状況に追い込まれているギャラクシー展開。 けれどもそこは、常にギャラクシーのパーティ・イベント事となれば、なんやかんやの段取り・下働きをなんなとちゃっちゃとやり切ってきたわたしたち。 「ま、なんとかなるやろ」と引き受けたのだが、フタを開ければ、これがまた何と言おうか、 「おまえ発、おまえ絡みの催事行事が予定通り滞りなく済むことは絶対にない!」 。 そんな嫌と言うほど知ってるはずの店長銀河の法則を、またしても思い知らしめされる3日間であった。 当初の予定では、セミナー参加者はざっと17名。何でもナイジェリアの代理店(何の代理店か分からないが、店長いわく、その名も「エージェンシー」)による仕込み接待イベントらしく、接待される方々はナイジェリアの石油関係者、クライアントだという。そして参加者それぞれが奥方を伴ってやって来るので、到着日の夕方のカクテルパーティ、そして3日間にわたるトークレクチャーの最終日には30人規模のケータリングサービスをキミ達にお願いすると。 そして、そのセミナーのスケジュールは、普通ならざっと以下のように進むはずであった。 6月21日 夕方5時に12人の石油関係者とそのワイフを含め、17人くらいのナイジェリア石油団がギャラクシーに到着。そこで、軽いおつまみとワイン、ジュースなどをお出ししての「ウェルカム・カクテルパーティ」。その後、店長は一団を引き連れてレストランへ。 22~23日 朝10時からセミナースタート。軽い朝食とコーヒー&紅茶、さらにバイキング形式の昼食を用意。 24日 セミナー終了日のため、お別れの茶話会的に「バイバイ・カクテルパーティ」。 が、つねに、何のつもりか重要な情報を小出しにする店長。念のためにしつこく繰り返すが、最初にわたしとアヒルが店長から打診されたのは、6月21日のカクテルパーティの仕込みと給仕。それが、2日前になって、実は3日間に渡るナイジェリア人たちの食事サービス係になってしまっていることを知らされ、あ然とやむなく進むわれら。このまったく身に覚えのない罪に問われるような驚愕の困惑、そして、後から後から腹の底から沸き上がる「それ、はよ言えんか?」の憤り。 この状態を、ここ、ギャラクシー用語では、「寝耳に店長」と言う。 というわけで、それを聞かされた瞬間から、明日には買い出し、明後日の午前中には、ナイジェリア人へのおもてなし料理を作る段取りに大わらわのわたしとアヒルなのだが、そこにまたしても尚、横から面倒な手間を迫ってくるモンスタークライアント、その名も店長。 「エージェンシーにケータリング費用の請求を出さなければならないから、概算費用を至急提出してくれ」 「いや、そんなもん、今すぐには分からんわ」 「 OK! では、今から何をどれだけ作るのか、材料はどれだけ必要なのか、僕が一緒に計算してあげよう。何しろ、今、きみは(必要以上に考えすぎて)冷静さを失っているからね」(直訳) わたしの堪忍袋の緒が切れるとき。それは、まさにこういうヤツのひと言である。相手の状況、立場、心情を慮るようなニュアンスがまったく感じられない、「自分ありき」の不遜な英語の物言い。お分かりいただけるだろうか。 そもそも、ナイジェリア人の賄いサービスをわずか2日前に頼まれ、それをそつなくこなすだけでもなかなか手間のかかる仕事である。 そこに、たとえ早急に「見積もり請求」が必要になったとしても、その上、さらなる手間をお願いするときには、それ相応の心苦しさを表すお願いの仕方、頼み方、言い方、あって然りの上目遣いの「ごめん」と可愛げがまったくないこいつの何様イングリッシュに、腹の底から煮えたぎる勘弁ならぬこの怒り。 それはもう、このわたしが信長なら、市中引き回しの上、京の六条河原で処刑して、五条の橋でさらし首にしてやるほどの許しがたさである。 「急な上に面倒くさいこと頼んで、申し訳ない。大まかでいいから、それぞれのメニューにどれくらい費用がかかるかメモ書きにしてくれないかな。請求書を送らないといけないから」 もし、そんなあたりまえのひと言がこの者のクチから出たなら、それはもうやるしかないと、わたしがエクセルの表計算で見積り書を上げるくらい、気持ちよくやりますわ。それを、だ。嫁のやることなすことが気に食わぬ角の生えた姑のごとく、 「おや、おまえさんは、自分が作る料理にいくらかかるか、たかがそれしきのこともすぐには答えられぬとは、はぁ、いったい毎日何を考えて生きてるんだか。いいよ、いいよ、わたしがひとつひとつ手を取って教えて上げるから、おまえが作りたいものの名前を言ってごらん。えっ、さあ、どうしたんだぃ、それすらわからないのか、え?」とでも言わんばかりのとげとげしい英語を居丈高にペラペラ抜かしてくるから、普通に良識ある者同士のご家庭なら「あ、うん」で済むような日常のひとコマも、ここパリ17区のアパルトマンでは、食うか食われるかの修羅場と化すのである。 そんなこんな、英語と大阪弁が血道上げて怒鳴り合い火花を散らす修羅場を経て、「出したらええんやろ!出したるわ!」と出した概算見積もりメモがこちら。 こんな「巻き寿司」「ポテトサラダ」「マカロニサラダ」と、一見のほのぼのとしたメニューが並ぶメモ書きひとつにも、言うに言われぬ憤怒と激闘のエピソード抜きに語れない。そう、それが、店長と暮らすパリ。それこそ、素敵なパリの素顔を発信するモード雑誌「 FIGARO JAPON」「ELLE JAPON」では決して語られることのないもうひとつのパリを知りたければ、「さそり座の店長」を知るより他ないと見ていいだろう、そこは、もう、たぶん。 そして迎えたナイジェリア石油軍団の到着日。 ギャラクシーに着いた私の目に飛び込んできたのは、コンピュータ画面の向こうから何か言いたげにこちらを伺う店長の何とも言えない顔。 「あれ? ナイジェリアの人たちまだ?」 「彼らは来ないよ、パスポートのトラブルで」 「ええええええ!!!! はぁ〜!? 何それ????」 と、おののき仰け反っている場合ではない。仕事の打合せの帰りに「中華スーパーでギョーザを買ってくる!」というアヒルが大量に冷凍餃子を買ってしまう前にこの事態を報せねば! 「ギョーザ、まだ買ってないなら、買う必要なし。なぜなら、17人来るはずのナイジェリアン、渡航ビザが取れず、参加者2人や…」とメールを打つと、これまた同じリアクションですぐさまアヒルからの返信が。 「ええええええ!!!! またしても、想定外があたりまえのこの展開… とりあえず、万事了解や!」 そう、本来ならば、奥方含め30人のナイジェリア人で溢れかえるはずの店長セミナー。フタを開ければ、参加者2人、明くる日に1人増え、結局参加者3名というカクテルパーティもへったくれもない少人数。 が、たとえ相手が30人だろうと3人だろうと、店長のオイルを語る熱量、パッション、信念、血ィ沸き肉躍る思いの丈に貴賤なし。 3名のナイジェリア石油人を前に、自ら掘り下げてきた石油発掘フィールドワークの実践とノウハウ、自ら骨身に沁みて痛感している石油ビジネスの厳しい現状、そして自らに課している地質学者としての矜持と責任など、これ以上の「自ら」があるかというくらい、ありったけの「自ら」を全身全霊で熱弁スピーク&熱血スパークする店長。日常生活ではただただくどい、よかったな、知らんがな、もうええて! と突っ返したくなる「店長スピーク」が活きるのは、やはり「自ら」を自らどれほど語り上げるかが問われるプレゼンテーションの場である。 これまで、世界のオイル業界でちょっとは名の知られた地質学者として様々な石油ビジネスの見本市や講演会、シンポジウムに招かれ出かけている店長だが、つねにその場では「ベストスピーカー賞」に輝き、クリスタルのトロフィーやらメダルやらを持ち帰ってくるところを見ると、そこは自分には到底マネのできない武勇を持ってるヤツとして、そこは、そこだけは見上げるしかない日の本イチ、いや、世の本イチの「みずから」なのである。 そんなこんなで、アヒルとチュンチュンとしては、いつも通りわけが分からぬまま行き過ぎたナイジェリア石油人の集い3days。われわれの収穫は、やはり、彼らのお口に合うのは「揚げギョーザ」という、揚げ物の重要性をあらためて認識できたこと、と言えようか。 ただ、何というか、それを企画した時点では、まさかこんな状況になるとは思いもよらないような不測の事態が必ずや何か起きる店長の必然、宿命、デスティニー。もちろん、当の本人も、思いも寄らない展開であるには違いない。が、今まで、おまえ発の企画・催事・物事に「不測の事態」が起こらないことがあっただろうか。ない、断じてなかった、わたしが知る限り。 ナイジェリアの人たちがビザを取れなかったのも、当初の予定が総崩れに崩れたのも、偶発的な「アクシデント」と捉えて離さない店長。が、いいか悪いかは別にして、何かにつけて「そもそも」の元を辿りたがる癖のあるわたしの感覚からすると、元はと言えば「おまえ」が持ってる何かよからぬものがそうさせている、そういう流れに向かわせていると考える方がすんなり腑に落ちる。 そんな異常ありきの日常が生活になってしまったわたし、そしてアヒルが、事あるごとに「なんでそーなるか?」の不可解さを一発で打ち払う常套句。 「それもこれも、あれもこれも全部、店長のせいや…」 おそらく、当の店長が「僕が絡む物事は、いつも予期せぬ事が起きる。それって、何か僕のせいかな…」と我が身の星回り、吉凶ロシアンルーレットみたいな己の業を振り返ることは死んでもないだろう。 そして、わたしたちが店長に向かって、「いやいや、そんなことないよ!君のせいだなんて、考え過ぎだよ、ただのハプニングさ」と、慰め励ますような機会は永遠にないであろう今日この頃もこれからも。 なぜなら、誰より超人的な「自ら」を持って生まれ、生き抜き、これからも生きていくであろうヤツが、ひとつ、持って生まれるのを忘れた「自ら」。 それは、他でもない。「自らを省みる」という前向きではない方の「みずから」であるからして。 店長の「予定」。それは、予期せぬことが起こる前兆。 ということで、次回の本編では、この9月、思い切って参加したNYでの展示、さらに最愛の祖父ちゃんに会いにアメリカに旅立った店長が自ら引き寄せたとしか思えない「ありえない展開」をお届けする予定です(苦笑)。
前回の巻では、そこに店長が居るだけで何ひとつ大変ではないことがものすごい大変になる店長因果のしくみについて、くどくどと解説させていただいた。 では、ヤツがそこに居さえしなければ、物事はスムーズに流れるのか。普通に考えればそういうことになる。 が、そうは店長が卸さないのが、予測不能の因果渦巻くギャラクシー。 ということで、今回は、居なきゃ居ないで七面倒、店長のいないときに起こりうるあんなこと、こんなこと、腐るほどあったわい! の巻である。 何しろオイル発掘ビジネスという職業柄、年に2~4回は世界各地の油田を堀りに、アフリカ、中東、アジア、南米など、紛争テロと過激派ゲリラ、さらには感染病という危機と危険が叫ばれる国や地域にピンポイントで出張する。去年は、マレーシア・ボルネオ島、一昨年は、ISの脅威が叫ばれるイラクかエボラ出血熱の感染エリア・リベリアかどちらに行くか死ぬほど悩んだあげく、イラクへ。そしてその前はアフリカのコンゴへ、オイル採掘チームのメンバー(登場人物参照)と共に石油採掘調査に出向いていた。滞在期間は短くて3~4週間、長ければ3ヶ月に及ぶ。 そしてその間、チュンチュンは、行ってる場所が場所だけにもはや心配したところでどうしようもなく、 「まあ、知らずに行ってるわけではないのだから大丈夫だろう」と、 ワイン片手にしばし戦士の休息を過ごす….. はずなのだが、これまでそんな安らぎのときがあった例しは一度たりとも記憶にない。 あれは3年前のコンゴ出張。 それはまだわたしがパリに来て3ヶ月という、右も左も緊張と不安しかなかった時期。 3年経った現在でもフランス語は笑けるほど粗末なものだが、その当時はフランス人が何を言ってるのか、看板や張り紙に何が書かれているのか、何もかもがサッパリわからず、生まれたばかりの赤子のように目に映るすべてが未知のフランスに怯えるばかりであった。そんな、いたいけなチュンチュンに、こともあろうに出張中のギャラクシーの店番を振ってくる「殺したろか」のありえなさ。 もちろん、そのときも土手の河原でタイマン張る中学生のようにとっくみあいの喧嘩を繰り返したが、結局、この「ボンジュール」と「メルシー」しか言えぬわたしが、破れかぶれの店番長をやるハメになったのである。それはもう、地球の平和を守るため、「キャシャーンがやらねば誰がやる!」と立ち上がる昭和生まれのテレビッ子の正義感と責任感から、としかいいようがない。 こうなったらヤケクソで「やったるわ!」と大見得切ってやってはみたものの、静まり返ったギャラリーでぽつんとひとり。 9月というのに芯まで冷えるパリの寒さとシトシト止まない秋雨に、気持ちはどんどん落ち込み、滅入り、訪れる客に何を訊かれるか、何を問われるかと戦々恐々、おびえ、震え、ちぢこまる日々。 生まれてこの方44年、日本では味わったことのない孤独と屈辱、何もできない無力感にさいなまれ、確かにあった幸せを捨てこんなとこに来てしまった後悔と懺悔に打ちひしがれ、それもこれも全部お前のせいや、と、ワイン片手にしっとり優雅なひとときどころか、夜な夜な頭にろうそく鉢巻きして店長のワラ人形を打ち付けるイメージを膨らませる日々であった。 いったい、わたしはいつまで、こんな異国の雨に打たれながらワラ人形を打ち付けなくてはならないのだろうか。 なぜなら、店長の出張はつねに、帰ってくる日も帰れるのかどうかも「I don’t know」。 ふん、なにをそんなに勿体付けて謎めく必要があるのかと、考えれば考えるほどいよいよ腹が立ってかなわない。 そもそも、もし何が起こるかわからない危険があるのなら、自分が帰れない事態になったら誰々に連絡してこうしろという書き置き、メモ書きくらい、後に残る人のために置いていくのが当然ではないか。 わたしの亡き母親など、それこそラガーマン並みに肩肘張った女手ひとつ母子家庭の責任感から、おばちゃん仲間と1泊2日の有馬温泉に行くだけでも、「お母ちゃんにもしものことがあったら、この茶色い絞り袋を開くんや。そしたら、ここに保険の証書と銀行の通帳があるからな。あと、連絡する人のリストはここに、こうやって…」と、有馬兵衛の向陽閣でいったい何があるというのか、うんざりするほどやいやいうるさく言うて置いて行ったものである。 それにひきかえ、有馬温泉とは比べものにならないくらい「万にひとつ」の危険が満載のデンジェラスゾーンへ行くというヤツが残していったものといえば、 「僕に何かあったら、僕の骨はトイレに流しておくれ。そして、息子のピエールに知らせておくれ」のひとことだけ。 おまえの骨をトイレに流すのはいいが、その前に、その骨をどうやってわたしが引き取れるというのか。もしあんたの身に何かがあって、警察か大使館かどこからか電話があったとしても、向こうが何ゆうてるかわからんわたしにどうしろと? カトリックでもプロテスタントでもなんでもない無宗教の店長だけに通夜や葬式は省いたとして、その後の役所届けやアパートの解約、銀行やらの諸手続きやらなんやかんや、ああ、もう知らん! 何かあったら何かあったと思って日本に帰ったれと、開き直って前向きに店番を頑張り続け2週間が経った頃。 毎晩のように、調子もへったくれもないわたしのもとに「調子はどうだい?」とかかってくる店長からのハニーコールが、その晩はなぜか様子が違っていた。 店長の電話の声は、あきらかに上ずり、焦り、異様な緊迫感を帯びていた。 「ハニー、今日、僕のホテルの部屋が何者かに荒らされ、コンピュータからパスワードが盗まれウイルスに破壊された。やつらは僕のフランス口座にアクセスして金を引き出そうとしている。だから今、銀行口座はすべてブロックされている。僕は、彼らに拘束されるかもしれない… 僕の言ってること、わかるかいハニー? キャン ユー アンダスタ~ン?」 って、むっちゃいい発音でささやかれても、だ。 いやいや、いやいや、言うてることはわかる。わかるよ。言うてることはわかるけども、言うてる意味、言われているこの今の状況が、なんのことか、わかるかい。なぜなら、こんなこと、海外ドラマ「24」か漫画の「ゴルゴ13」でしか見たことがない自分に思えることは、ただひとつ、ウソやろ? そして、この土台平和な日本人が言えることは、 「警察に連絡したら?」 そんな程度である。 「何をバカなことを言ってるんだ、ハニー。コンゴの警察がどれほど恐ろしいか知らないのかい? 」(知らんやろ、普通) 「警察なんかに知れたら、僕はアフリカの刑務所に入れられるよ」(おかしいやろ、絶対) 人生何が起こるかわからないにも程があるこの事態。もはや何をどうしていいやら「とりあえず….. ガンバレ!」というチュンチュンに 「Yeah… ワタシ ガンバル besou besou」と力なく電話を切ったのを最後に、店長の音信はプッツリ途絶えた。 わたしからメールを送って何のレスポンスもないことは1度もない店長だけに、翌日、何度メールしても返ってこないということは、これは間違いなく、昨晩ヤツが恐れていた通り、コンゴ人に拘束された !!!!! ということだ。 とにかく、これはフランスの警察、コンゴのフランス大使館に探してもらうしかない。店長のパスポートとIDのコピー、消息不明に至るまでの経緯をまとめた書面を用意し、フランス語が話せる日本人の仲間にギャラクシーに集まってもらい、「アフリカ・コンゴ 店長誘拐 特別捜索本部」がにわかに立ち上がったその時。わたしの携帯に見知らぬ番号からのSMSメッセージ。 見るとフランス語で書かれたそれは、たぶん、身代金要求の脅迫状。 すかさず仲間に「何て?」とメールの内容を訳してもらうと、やはりそうであった。 《マダム、テンチョウの命が惜しければ5万ユーロ払え。口座は後で連絡する》 ええええええーーーーー 何がーーーーーー 何ンのことォォォォォォォォォーーーーーー なんでわたしが、日本列島以外に自分が生きる世界はないと生きてきたインターナショナルとは無縁のこのわたしが、なぜ、コンゴ人から身代金要求されなアカンのヨォォォォォォォォォーーーーーー だが、こういうときは、そう、奥さん、落ち着いて。 「お金は用意する。でも、その前に、無事な声を聞かせて!」 それが身代金要求への正しいレスポンスであることは、数々の刑事ドラマに学んできたテレビっ子、チュンチュン。 即座に、その日本語をフランス語で返してもらい、犯人からの接触を待つ間、店長の宿泊ホテルへの確認、コンゴのフランス大使館への捜索願いに奮闘する捜査本部の仲間たち。 けれど、滞在先のホテルの名前も連絡先も、肝心なことはなにひとつ置いていかない店長。滞在ホテルひとつ探すのもひと苦労。 「コンゴ, ホテル」でgoogle検索したホテルの写真と、出張中、朝昼晩とひっきりなしに送られてきた店長の自撮り画像を照合し、プールがある、ラウンジはこう、「ここや!」と絞り込んだホテル・ポワン・ノアール。その名も「ホテル・黒い点」。 さも黒々した、いかにも悪そうな名前からして、間違いない、ここだ! と電話かけるも、ホテルのくせに誰も出ない。何度かけても、つながらない。 これって、フロントのやつが誘拐犯に金をつかまされたグルで、かかってきた電話の着信番号をちらっと見て、「フランスからだ」と無視するという、まさに「ゴルゴ13」の黒い荒野で読んだそれ、それやで! と、やぶにらみに舌打ちしつつも、なぜかやたらと興奮度が増していくチュンチュン刑事・人情派。 さらに、外国人の行方不明など、財布を落とした紛失届くらい珍しくもなんともないのか、通販会社の注文窓口ほどひっきりなしにその手の電話が掛かってくるのか、コンゴのフランス大使館から返ってくるのは 「まずはサイトの問い合わせページからご相談内容をお知らせ下さい」 だが、何回アクセスしても、そんな問い合わせページなどどこにもないという、事実上のもみ消しであった。 コンゴ人からの連絡はその後一切なく、捜査は振り出しに戻ったかに見えた夕方5時過ぎ、店長からのメールが! 「ハニー、僕はコンゴ人に拘束され、自由を奪われている。見張りは4人。僕はなんとか脱出する チャオチャオ♥」 いや、チャオチャオはええねんけど、無事なのか、なんなのか、どないやねん! と、即座に返信を打とうとするも、「待って!もしかしたら、それは犯人のなりすましかも」と、慎重かつ冷静な捜査員の制止が入る。 せやな、そしたら、このメールが店長であるということを確かめるための策として、店長にしかわからない質問を投げかけることにした。 「この7月まで、ギャラクシーの店番バイトをしていた日本人女性の名は?」 すると、返ってきた答え。 「CHIYO (チヨ)」 正解、お見事! 「店長、無事やったんや!!! 」 「やっぱりなぁ」 「アイツに限って、ただで死ぬわけないねん」 「せや、死んだらええねんと人に思わせるようなヤツは死なへん。 みんなが死んでもひとり100歳まで生きよるねん」 と、クソミソの安堵にボロクソに活気づく捜査本部。 そうして、店長は、犯人の仲間の見張りのスキを見てアジトから脱出し、翌日、無事パリへ戻ってきた。 と、お読みいただいた通り、コンゴの話だけでも、あってはならないことがあり過ぎる店長不在の「ありえなさ」。 マレーシア、イラク出張中には何があったか、わざわざ書かずとも、居なくとも「大変」ということだけはお分かりいただけるだろう。 ヤツが居るとき、居ないとき、いずれにしても、普通の時はないと思え。 それが店長ギャラクシーに巻き込まれた者の掟なのである。
日本を中心にアジア、ヨーロッパのフォトアーティストの作品展を行うギャラクシーこと店長ギャラリー。 メインの展示スペースとパーテーションで仕切られたオフィススペースは店長が「バックルーム」と呼ぶ、プライベート空間である。 もちろん、そこにも有り余る情熱と鬼気迫る執念によって選び抜かれた店長の激愛フォトコレクションが息をもつかせぬ勢いでぎっしりと張り込められている。 そして、その「バックルーム」は、店長の石油開発ビジネスの総統本部「インターナショナル・オペレーション・オフィス」。そこには、故郷、コロンビアの生家の古い扉を自らリフォームして製作した重厚な木とガラスが異常に重い店長自慢のテーブルが、細長い空間をより狭苦しく見せるほど幅を利かせている。そして、その嵩高いテーブルの上には、2台も3台もひとりでそんなに要るか?と首を傾げたくなるほどのデスクトップPCがずらりと並び、アートギャラリーとは思えない珍妙なテクノロジー感、滑稽な緊迫感を醸している。 時に神妙にエクセルの表計算に打ち込み、時に電話口で、待てど暮らせど配達されないフランスの郵便物、間違った金額を引き落とす宅配業者、ありえない品質の印刷物を納品してくる印刷会社に血道上げて怒鳴りまくる。 時に、オイルカンパニーの部下である “なんちゃってCEO”のワンダラーや人の良さだけが取り柄のボブたちに思いっきり命令口調のダメ出しと激を飛ばし、月末にはネットバンキングの画面を苦々しく睨み「Fack! Fack!」と吠えながら請求の支払いに追われまくる。 そしてまたある時には、アフリカのオイルマネーを操るコンゴの黒幕・銭寅が黒々とした欲望剝きだしの形相で 「さっさと払うもん払ってもらいまひょか〜」と、支払う理由も義理もない自分への賄賂を取り立てにやって来る。 そんな店長の脂ぎった日常リアリティが、非日常を旅するような無垢なアート空間に混然とほとばしる店長銀河。 星の数ほどあるというパリのギャラリーの中でも、日本写真のリアルな現在と店長のしのぎを削るビジネスの現在が一同に公開されているギャラリーは、このギャラクシー以外、他にはないと、いい悪いは別にして、そこだけは胸を張っていいだろう。 日々、パリの片隅にあるギャラクシーのバックルームで、素人目にはなんのこっちゃかサッパリ意味不明な表、マップ、数字だらけの画面を瞬きもせず見つめながら、滑るようなブライドタッチとは程遠い1本指打法でカタカタ、カタカタ、タイピングしているその顔、姿、存在、そういう命の不思議を見つめ続けるチュンチュンとアヒル。それはどう見ても、人間のそれというより、土の中に隠した木の実を掘り返し一心不乱にほおばりむさぼる森の動物か水辺の生き物か…。わたしとアヒルの中では、「カピパラ」が一番それに近い。 土に埋もれたトリュフのありかをを嗅ぎ当てる黒豚のごとく、あるいは、地雷や爆発物のわずかな異臭をかぎ分けるホリネズミのごとく、地球人類のエネルギー源・オイルの掘りどころを探し当てる店長。 むんっ!と真一文字の唇で勇ましくコンピュータに向かうカピパラ然とした店長が地層の奧に何を嗅ぎ取り、何を思い、考え、何を見つめているのか。 正直、どうでもいい。 それをことあるごとに「キミは僕の仕事に興味を持ってくれない」「キミは僕の仕事を理解しようとしない」と、パートナーとしてのチュンチュンの無関心・無理解を非難し責め立て、嘆き悲しむ店長。 だが、店長よ。ひとの無関心を責める前に、もう一度、自分の目の前にある掘り起こした土に含まれる成分量の数値グラフをよく見るがいい。 その種の専門知識を持つ理系スペシャリストならいざ知らず、人の噂と芸能ニュース、皇室、テレビ、お笑い、健康、黒い事件簿、シリーズ人間など、食いつく対象はオール「女性自身」であるチュンチュンの俗なハートが、この画面グラフの一体どこにときめき、そそられ、萌え立つというのか。 ひとがわからないことがわかる代わりに、誰もが考えずともわかることがわからない。それもまた、科学の神秘、店長のネイチャーなのである。 地底の油脈は察せても、ひとの気持ちの脈を察し、「そら、そうやな」と受け止め、「まぁ、しゃあない(仕方ない)」と受け流す、ごくごく平凡な処理能力の無さには、毎回、目を見張るものがある。ゆえに、ヤツが絡んだ案件はことごとくあたりまえに済まなくなるのが通例だ。 誰かが約束の期日までに商品を送れないと言っている。でも最悪ギリギリには間に合わせるらしい。たとえば、仕事の場面では往々にしてよくある状況を店長に伝えたとする。そこで。 「う~ん、まあ、仕方がない。○日までに届けば、なんとかなる、か」 「ですね」 と、これ以上余計な波が立たぬよう進んでいく、まずまず順風な航路は、店長がそこに居る限り絶対に見込めない。 「なぜ間に合わないのか!」、「間に合わないのなら、もう必要はないと伝えろ」。 間に立つ者とすれば、「納品が遅れる」ことよりも何より厄介な障害物。それは、一重に、それを「そうか」と、それならばそれなりの段取りで進めるしかない柔和な算段ができない店長、あんたですわ。 もっと言えば、こういう場合、店長が事前に設定している期日は、「なぜ、そんなに早く?」と誰もがのけぞるほどの前倒し進行というのが常である。 つまり、その店長設定の期日が多少ズレ込んだところで、通常の進行スケジュールよりまだ早いくらいだ。にもかかわらず、「 too late!(遅すぎる)」という店長の時間軸もまた、地球に生きるわたしたちには想像もつかない独特の回転スピードで、ズレズレにあらぬ方向へと振り切れていることを留意しておかなければならない。 今朝もまた、せっかく丸く収まった話にわざわざ角を立てる店長のとち狂った判断&時間軸に発狂!という下りから、パリの1日が始まった。 事の発端は、昨年夏のファッション展示会で注文していた2016秋冬の厚手ニット。 当初は6月に受け取れる予定が、デザイナーさんの都合で9月にパリに来たときにお渡しするという連絡を受けたチュンチュン。 さあ、そこからである。 まっとうな人の感覚では、そんな厚手のニットを今もらったところで9月までは着る機会はない。 きっと先方も約束の期日は違えるにはそれ相応の事情があるはずだ。 と、「9月にお願いしますネ」とすんなり待つ。 けれど、店長が相手だと、普通の流れがあたりまえには流れない。ひとが苦労して流れ良くした配管パイプにわざわざ汚物を突っ込んで、さらにひどく詰まらせるようなことを振ってくるのだ。 デザイナーさんのお詫びと予定変更を店長に伝えるやいなや、出た、やっぱり出た、耳を疑う「Oh, too Late!」 はぁ〜!? いったい何が遅すぎるのか。 「今、そんな厚手のニットもらっても、どうせ9月まで出番ないねんから、ええやんか9月で」 僕にとっては何も良くない、なぜ予定が変わるのか、僕は6月にニットを受け取ることを楽しみにしていたんだ! 6月末までに海外郵便で送ってくれるように頼んでくれ。 もはや嫌がらせにしか思えない物わかりの悪さ、聞き分けの悪さである。 なんでそんなわけのわからんおまえのわがままを、わたしが頭下げてよろしくお願いせなあかんねん!このアホが!とボロクソに説諭するチュンチュンと「僕はすぐに欲しいんだ!」「僕の気持ちはどうなるんだ!」と、英語でペラペラ抜かし上げる店長が火花を散らしぶつかり合い、罵り合い、いがみ合うこと15分弱。 ようやく出た、9月だと「too late」なワケ。 「だってキミも知ってるじゃないか。僕は9月にNYに行くんだ。 そのときに、着ていきたいんだ!」 …… それ先に言えよ。 それを最初に言ってくれれば、朝っぱらからこんなに怒り狂わずとも済んだではないか。 ほんま、あんたの頭が一番「too late やわ!! 」と吐き捨てながらも、「NYに着ていきたい」おしゃれ心は尊重してやる、情状酌量たっぷりのチュンチュン。 そのデザイナーさんには7月下旬に送っていただければと、先方もそうしますと、落ち着くべき所に落ち着いたと思いきや、またしても翌日。 「結局、ニットはいつ届くの?」と、きっちり執念深く確かめてくる、さそり座の店長。 「ああ、7月末に着くようにお願いしたわ。だって7月20日まで南仏バカンスで不在になるから受け取れへんからさぁ」 と、言うまでもない当然のことのように答えるわたしに、またしても浴びせられる「too late」。 「僕は一日でも早く、注文したニットを見たいんだ!」 「すでに見てるやろ!見て気に入ったから注文したんちゃうんか!」 「でも、でも、それでも、今、見たい!見たくてたまらない。これは僕のDESIRE(欲望) なんだ」 「そんなしょうもないDESIREにつきあえるか!ボケっ! 」 「もういいよ!キミには頼まない。僕が直接メールするからアドレスを教えてくれ」 「ふん、好きにせぇ! ただし、 メールの件名は DESIRE でな!」 たかだかニット1枚受け取る話に、なぜ、わたしはここまで神経苛立て、声枯らして、髪振り乱して消耗しなければならないのか…. キッチンの小窓から見上げる灰色の空に、タバコの煙を忌々しく吹きかける「やってられへん」この思い。そんなわたしの心を知ってか知らずか、無防備に窓辺に近づいてきて「クククク、ケケケケ」飛び回る小鳥までもが、そして風に揺れる木々のさざめきまでもが、「そりゃ、あんた、店長がそこに居るからさ!」と嘲り笑っているかにきこえる空耳アワー。小鳥たちの言う通り、そう、そこに店長が居る限り、平穏に過ぎる時はない。 ああ、わたしはあと何度、どれほど深く思い知ったところで何の役にも立たないムダな悟りを開かねばならないのだろう。 普段なら難なく運ぶであろう物事が、なぜか上手くスムーズに運ばない。 いつもならあたりまえに済む話がどうにもややこしくこじれ、もつれ、進まない。 そんなときは、どうか耳を澄ませ、辺りをそっと見渡してほしい。 そこにはきっと、「むんっ!」何食わぬ顔で出で湯に浸るカピパラ然とした店長が居るはずだから。
言ったことは必ずやる、有言実行マン・店長。 しかし、店長の「有言実行」は一般に立派といわれるそれとは何かが違う。 たとえば、「おれは会社をやめてラーメン屋を開く!」と、上手いと評判の店で修行を積み、遂に自分のラーメン屋開店の夢を果たすのも、ひとつの有言実行パターンだろう。 が、このパターンをもし店長が実行に移すとどうなるか。 まずもって、「ラーメン屋を開く」と言った時点で、物件契約も内装工事も開店準備すら完了している。 自分を信じる強い気持ち、ただそれだけ持って生まれてきたヤツの頭に、人に教えを乞う修行などという考えは最初からない。ゆえに、「会社を辞めた」「ラーメン屋をやる」と彼が言った時点で、もうハコはできている。そしてそれを初めて聞く家族は、寝耳に水。それも洪水レベルの濁流が一気に耳から流れ込むような最大級の初耳にもかかわらず、すでにラーメン屋は「いつかの目標」という先の話ではなく、それを彼がクチにした瞬間、「今すぐ何とかしなければ間に合わない非常事態」になっている。1日も早く、明日にでもオープンしなければ家賃や経費が発生するという、のっけから尻に火が付いてる状態だ。なぜ、そんなことになるのか。なぜなら、それが店長、だからだ。 そう、店長の有言プランは、店舗空間設備、機器道具類の調達、契約書類の準備などハード面は万端なのだが、「厨房は誰がやるの?」「スタッフは?」「仕入れ先は?」「店の宣伝は?」というより、いきなり明日オープンしていったい「誰が来るの?」というソフト面に関しては、驚愕のノープランで挑むのが通常である。 しかも、そんなプロジェクトを店長が語り出したときすでに主語は「We」、そしてひとことも参加するとも協力するとも言っていないにもかかわらず気づいたときには「Our Project 僕たちの目標」になっている意味不明…. 夢に向かって突き進む本人はそれでいいのかもしれないが、迷惑なのは、そんな夢のブルドーザーに突然ぶつかられ巻き込まれるハメになった身近なチュンチュンとアヒル。とりわけ「何をすべきか、どうするべきか」を瞬時に悟ってしまう理解力、空気を読む感性に優れ、その場の状況にやむにやまれず対応してしまう日本人ほど、店長ドリームという名の「やるしかない窮地」、「選択の余地のない崖っぷち」に立たされ、できる限りのことをやってしまうことになるからだ。 それこそ、「女房とは別れる」という言葉通り、きっちり離婚して妻や子どもの養育費云々という責任を背負いケジメをつける。それもやはり、クチでは言えてもなかなかどうして実際にはできることではない、有言実行戦士なればこそ。 だが、これもまた店長がそれをするとどうなるか。 こっちはそこまで深入りするつもりはなくそうなっただけだとしても、奥さんと別れて欲しいなどひとことも言ったことも思ったこともないにもかかわらず、驚くべきスピードであっという間に離婚して、心ひとつ、愛ひとつで明くる日にはやって来る。「いやいや、ちょっと待って」と止める間もなく。 なぜなら、そうした方がキミにとって良い、「good for you」と思った時点で、店長はそうする。そして、そう思われた方は、何が何だか分からないままそうする他なくなる。つまり、店長とは、そういう生き物なのである。 これまで、そんな店長の有言実行によって痛い目にあってきたチュンチュン。 その最も痛かった有言プランは、タイでの突撃インプラント手術である。 あれは2年前の夏。店長のマレーシア出張のついでに、フィリピンのセブ島でバカンスを過ごすことになったのだが、テレビと本と駄菓子と銭湯が最上の娯楽と信じて疑わない昭和の浪花っ子のわたしにすれば、青い海、トロピカルな太陽、魚たちと戯れるダイビングや南の島の楽園リゾートという健全でアクティブな楽しみというものにおよそ縁もなければ興味もなく、行ったこともなければ行きたいと思ったこともない。 さも気が進まない口ぶりで「セブ島なぁ… 海と自然しかないリゾートで何したらええねん」とつぶやくと、「やることは、インプラントだよ!」と、思いもよらない店長サプライズ。 そう、店長と行くセブ島プランには、「フィリピンの歯科医でインプラント手術」というオプション体験が付いていたのだ。 確かに、もうかれこれ8年近く、左奥歯三本を失った状態で、右でしか物が噛めない 歯抜けの苦労を噛みしめてきたこのわたし。 そのうち抜かなければならない根っこに爆弾を抱えた歯も1本2本どころではない。 日本にいたときも、歯医者に行くたびインプラントを強く勧められるも、 そんな金はどこにもないとその場しのぎの保険治療でしのいできたクチである。 いよいよとなったら、総入れ歯になることもやむなしと、あきらめるしかないとあきらめてきたけど、けどよ。いやいやいやいや、ちょっと待て。 だからといって、なぜそれを、いきなり、しかもフィリピンで、今、やらなあかんねん !!!!! 医者はみな儲かるから、さも簡単そうに言うけどよ、歯茎切ってめくりあげて歯骨にドリルで穴空けてネジ打ち込むようなそんな口腔突貫工事、どう考えても痛くないはずないではないか。 しかも、それを日本でやるとしても不安しかないような手術を、あえて言葉のままならない上に腫れや炎症に大敵の常夏の南の島でやってみたいやつが、どこの世界にいてるねん! しかし、言ったことは必ずやり遂げることしか頭にない店長は、自分にも相手にも「あきらめる」ことを許さない。 「ボクは、キミと最初に会ったときに言ったはずだよ。 キミの哀れで醜い歯を(ほっとけよ)、僕が必ず修復してみせるって」 言われてみれば、そんなような大層なことを言われた覚えはある。 何しろ一生自分の歯で噛む幸せなど自分にはないと、親を恨み、不遇な運命を恨むしかなかったわたしにしたら、たとえ歯の浮いたような英語でもそんな親切なことを言ってくれたその気持ちに感謝して「ありがとう。そうなったらいいね」くらいのことは返したかもしれん。 けれど、そんなもん「言うただけ」やん….。 そして、ここが、冒頭からしつこく何回も繰り返しお伝えしてきた店長の空恐ろしい実行力のなんたるか。わたしがその「インプラント・リゾート計画」を店長のクチから知らされたその時点で、フィリピンの歯科医予約は既に完了し、その日程で航空チケットも手配され、その予定で現地のホテルも予約済み。 キャンセルするにもキャンセル料を払わねばならない現実を前に、そこに選択の余地はない。店長の有言プランは、それを明かされた時点で既に「実行」済みなのである。 で、結局、それからどうなったか。 店長と2人、セブ島には行ったものの、そこでお約束のバトル勃発。 あまりにも険悪極まりない空気にわたしはもうここからシンガポールへ飛んで日本に帰ろうとしていたのだが、店長も店長で、このままではせっかくのバカンスが最悪な結末に終わることを何とか回避しようと、急遽タイにバカンス先を変更。 そして、必然的に、フィリピンの歯科医はキャンセル。ああこれで、恐怖のインプラント手術から逃れられると思ったわたしが甘かった。 タイ郊外の山の上にあるバンガローにやっとこさ落ち着くやいなや、 「ハニー 今から街に出てインプラントのできる医者を探しに行くよ!」….. 何があっても言ったことは必ずやる、やる気しかない店長がそこにいる限り、約束は果たされるのである。 そうして、キツネか狼かようわからん動物マークの入ったヘルメットに「Jack Daniel」のタンクトップを来たポッチャリの原付バイクの背中にまたがり、微笑みの国タイのチャレンジロードを半泣きでひた走るしかないチュンチュン。 飛び込みでインプラント手術という無謀にも程がある挑戦の結果は、散々痛みに耐えた4時間の手術のあげくネジを入れる段で失敗されるというとんでもなく「やっぱり」なオチで終わったことは予想通りである。 結局、パリで再手術を行い(ほな最初からパリでやれよ…)、不要な痛みとムダな苦労、春節の中国人形みたいにぶさいくな臼顔に腫れ上がるときを経て、ようやっと「噛める幸せ」に満ち溢れたわたしの歯をのぞき込み、「キミの歯は、僕の責任だから。ちゃんとやり遂げただろ? 」と、自らの実行プランの成功を自信満々アピールする店長。 ひとの歯のことを自分のことのように心配しケアしてくれたその気持ちはありがたいといえばありがたい。 が、そんな Thank youと同じだけ腹の底から沸き上がる心の声は、 「しばいたろか」。 店長の有言実行プラン、それは、感謝と殺意を同時にもたらす天国と地獄の黙示録なのである。
ひとは誰しも、機嫌のいいとき悪いとき、調子のいいとき悪いとき、心が開いてるとき閉じてるとき、様々なときを持っている。目に映るすべてのものが美しくかけがえのないものに思えるときもあれば、目に触れるすべてが忌々しくうっとうしいときも生きてりゃ当然あるだろう。 問題は、そういう気分の浮き沈み、心の大波小波の間に、良くもなければ悪くもない、とくにどうということもない平常な「時」と「間」を持っているかどうか。 この物語の主人公・店長とは、そういうニンゲンなら誰しもあって然りな「時」と「間」を持たないヒトの別名である。 単に情緒の乱高下が甚だしいだけであれば、極力関わり合いにならないか、適当に無視しておけばいいだけの話なのだが、やつの場合、そういう自分の感情の起伏、精神状態の乱れを「Look !」あるいは「I show you!」と、胸を張って堂々打ち出してくるだけに放っておきようがない。 たとえそれがハッピーなほとばしりであろうと、愛のエチュードだろうと、哀愁のカサブランカだろうと、野別幕なく自分の内なる喜怒哀楽のエモーションをむき出しに、すべてが唐突な変調だらけのメロディを尋常じゃないボリュームで奏でられる方は溜まったもんではない。 とにかく、この店長というニンゲンの急転直下まさかの感情気流の激変ぶりを目の当たりにすると、もはやそれはヒトの機嫌や気分の良し悪しという次元ではなく、燃え盛るマグマの火山期、恐竜も滅びる氷河期、そして幾度となく繰り返す隕石やら他の天体との衝突….という地球の周期を見るような一体何がどうなってそうなったのか誰ひとりとして理解不能なスケールの「期」としかいいようがない。いや「紀」と言ってしまってもいいかもしれない。実際、アヒルとチュンチュンの間では、「今、何時?」「今日、何日?」というのと同じ感覚で、「今日、ナニ期?」と店長のエモーショナル周期を確かめ合うのが常である。 それは、暖かな日差しが降り注ぐ春の昼下がり。朝から銀行担当者とのランデブー(予約面談)やオンラインバンクの振込振り替え作業、はたまたクライアントとの見積もり折衝など、次のオイル開発地であるマレーシアでの活動資金を調達するべくなんやかんやとシビアな「お金」の交渉事に追われていた店長。 思うまま心のままに生きられないストレスで今にもはちきれそうな「自分」をこれ見よがしに訴えるかのように、ポッチャリ豊満なボディからひとり切迫したビジネスムードをまき散らし、人が立てる物音や話し声さえ許さないピリピリと神経過敏な空気を発散。かと思えば、ポッテリ突き出た腹にイライラと溜まったガスを大音量で「oops!(ウーップス)」と放出。何のことはない、ただの「屁ぇ」なのだが、そんな「屁ぇ」ごときにも「Are you OK ? 大丈夫?」と労ってほしげな沈痛な面持ちを崩さないヤツに懸けてやれる言葉があるとすれば、「だから、なんやねん!!!」… それしかない。 そんなある日のアヒルとチュンチュンの交信記録。 アヒル「今日の店長、かれこれ5時間、ひとりイライラ、カリカリ、ひとこともしゃべらず石油仕事してる」 チュン2「どうもオイルビジネスの資金繰りが大変らしいねんけど、やるせなくうなだれ落ち込んでるだけなら、かわいそうにと慰める気にもなるけど、よ。自分1人がしんどい目に遭ってるような攻撃的な苛立ちを嫌みたらしく押し出してこられたら、誰も手を差し伸べたくなくなるで」 アヒル「そんな店長の重苦しい負のオーラが、次から次へ災厄を引きずり込んでる状態や。今、DHL(国際宅配サービス)やらFree(ネットサービス会社)にファーークッ!ファーーーック!激怒の電話。問題しか発生しないギャラクシー」 チュン2「陰々滅々、自業自得の海原を負の地引き網を引きずって沈む店長の難破船。本日もウツ大漁!やな(苦笑)」 その翌日ー アヒル「まさに今、世のウツを地引き網でごっそり引き寄せてる!保証金を返さない前の大家に怒り狂って怒鳴りつけてるわ~」 チュン2「凄いな… ウツ大漁丸」 アヒル「もう、大漁すぎて。ギャラクシーからシャポン通りに溢れ出てるがな。てゆうか、店長がむっちゃ咳き込み出した。風邪やな」 チュン2「おのれの辛気におのれがやられた恰好やな。大体、いっつも、難破期の末期には風邪引きよるねん」 アヒル「ほんまに… 面倒くさいな(苦笑)」 そしてこの夜、追い詰められれば追い詰められるほど他者への攻撃によって自分を守ろうとする店長のとげとげしいものの「言い方」に堪忍袋の緒が切れたチュンチュンは、56戦目の壮絶バトルへ突入。日本へ帰国する決意も56回目、国際引越サービスにいったい何度目かの見積もりを「今度こそ」と依頼する毎度おなじみの展開である。 けれど、そんな決定的な別れの際に至っても、欧米ラテン店長のポジティブシンキングは「修復可能」を疑う余地なし。 つい3秒前まで鬼か悪魔の形相で、ウワーッと「そこまで言うか?」と呆れるしかない自己正当化オンリーの英語をまくし立て、人のことをさんざん非難し罵倒し続けていたくせに、「終わり」となると、ひょっと憑きものが落ちたみたいに今度は弱々しくか細い声で「僕は今、風邪を引いてとてもつらいんだ。僕のケアをしておくれ」と 、ゲホゲホ今にも死にそうに、雨に濡れ捨てられた子犬のような瞳で泣きつかれる阿修羅の地獄。 死んでくれ、消えてくれと、勘弁ならん仇(かたき)でも、病人となれば斬り捨てることも見捨てることもできず、ならぬ堪忍するが堪忍、ぐっと堪えて生姜湯を作ってやる、ああ情けない徒情け。 憎い姑の世話をする嫁の気持ちというのはこういうものかと、コブラVSマングースの戦いはこうしてわけがわからぬままうやむやに、なし崩し的に決着をみないまま、ハニーの星は、今日も今日とて唇噛みしめひたすら同じ轍を踏み続けるしかないのである。 たとえ今日という日がどんなに納得いかずとも、憤懣やるかたない夜の霧に包まれたわたしの心はいつだって丑三つ時であろうとも、それでも日はまた昇る翌朝。 とりあえず、お昼の店長係のアヒルへ、本日の店長の「期」をお知らせ。 チュン2「おはよう。今朝は昨日の難破船のヘドロのウツから一変。明菜中森の大丈夫じゃない笑顔を見せてるわ」 アヒル「店長、大丈夫か?その笑顔が一番やばい…。あっ、今、難破船が到着。昨日と打って変わって、ずーっとしゃべってる。わたし、まるで徹子店長の部屋に招かれたゲストのごとく… これ、いつまで続くんやろっ!」 チュン2「自分が確認したい情報を人を相手に「対話」で行うのが徹子なら、自分の感情を無理矢理にでも共に分かち合おうとする店長。どっちも、そこに招かれた方は “なんとも言えん” っちゅうこっちゃ….」 ということで、ただ感情的というだけでは言い表せない店長のエモーション。うんざりとでもご理解いただけただろうか…。 ところで、そんな店長の「期」は、人の感情を喜怒哀楽の四文字で表すように、以下の通り、およそ4つに分かれる。 ◆エンジェル期 47歳のオッサンとは思えない無邪気で純真な笑顔をたやさず、終始、天真爛漫な弾けっぷりでハッピーオーラ全開。いったい何がそんなに嬉しいのか誰も意味が分からない原因不明の喜びと感動に恍惚と身をよじらせながら下手な歌と踊りでキャンキャンほたえまくり、見る者をあ然とさせ、途方に暮れさせる。 路上やメトロのホームレスや物乞いへの思いやり、街で道に迷った人や困った人への親切もやり過ぎなほど、表情も言動もやることなすことここぞとばかりにエンジェル化。 ◆鬼姑期 我がが、我ががの自己中心的な傲慢さ、人を人とも思わぬ非情な言葉、重箱の隅をつつくような嫌味な言動が噴出。「自分は悪くない、もし自分が悪いとしても、悪くしたのは、Because of YOU!キミのせいさ!」というトチ狂った自己肯定=アイデンティティと被害者意識が混然一体となって炸裂するこの鬼姑期には必然的にチュンチュンとの衝突バトルが頻発。 そしてバトルに付き物のチュンチュンの帰国準備とともに、店長はひとりぽっち誰もいない深い孤独の海の底へ… という流れで、次に来るのが難破船期である。 ◆難破期(AKINA 中森) もはや救いようのない陰々滅々とした孤独と絶望のヘドロをまき散らし、そのあまりの辛気くささに初夏の太陽も引っ込む「期」。松本清張「砂の器」のクライマックスを地で行く「生きる悲しみ」なのか何なのか、ひとりよがりに自ら織り上げた難破期特製「負の地引き網」で、次から次へと最悪の事態を引き揚げるその様から、「ウツ大漁期」ともいう。この「期」の特徴として、全く何を言ってるのか聞き取れない弱々しい声、絶対に大丈夫じゃない笑顔があげられる。 ◆巡恋期(TSUYOSHI 長渕) どんなに愛を叫んでも、「もうええって」と流される。こんなに唇突き出しせがんでも「なんでやねん」と拒まれる。いつまでたっても求める愛を返してくれないチュンチュン、いや、ロマンチックを許さない浪花魂に業を煮やした店長がジワジワと壊れ始める混乱期。「ジュテーム!(愛してるよ!)」「モワ オシィ(わたしもよ!)」というフレンチ式カップルライフをやってみたい衝動を抑えきれず、ついには「ジュテーム!」「SAY!カモン!」「モワ オシィ~」と、長渕剛・桜島ライブのごとく「セイッ!セイッ!」とひとり熱狂&絶叫。チュンチュンのみならずアヒルにまで「アヒルちゃんは僕のことをキライなんだよね。分かってるヨ。でも僕はそれでもいいんだ!」などと、愛されている実感を手当たり次第に欲っしまくる。アフリカ、マレーシアなど、石油仕事で旅立つ前にこの症状が高まる。 以上、いずれかの「期」がジェットコースターのごとく上昇下降を繰り返し、うねりをあげて展開する店長の情緒不安。その合間、合間には、苛烈な危機感と異様な真剣味がうっとうしい「天知茂 THEシリアス期」、理解不能なアムールを煮えたぎらせる「松崎しげる愛のメモリー期」、さらには、さんざん人を振り回し疲れさせておきながら「僕、もう疲れたよ」と、これがフランダースの犬であればパトラッシュが最期の力を振り絞り「おまえがゆうな !!」とのど笛食いちぎる勢いで噛みつきたくなるような “ ひとりよがりのひとりぼっち” を全面に打ち出してくる「フランダースの枯れスス期」など、どこまでも面倒くさい「期」が様々に挟み込まれ、散りばめられたギャラクシー。 なんとなく何ごともなく穏やかに過ぎていく「時」や「間」は、ここには決して巡ってこない。 というわけで、以後、パリのギャラクシーを訪れる日本の方々には、気温と服装以外にもうひとつ、店長の「期」のチェックもお忘れなきように(苦笑)。