ハートブレイクもサクセスも色とりどりに味わったニューヨークを後に、大好きなグランパが暮らすミズーリ州モネットへ向かう店長。 思えば、わたしがパリに来て3年あまり、オイルビジネスとギャラクシーライフの間を見ては、じいちゃんに会うためのアメリカ行きを画策、計画し、航空券を予約する寸出のところで腎臓結石やら盲腸やらの足止めをくらってきた店長だ。おそらく今回、店長が、多少の無理はしてでもNY展参加を決めた心情には、ミズーリのじいちゃんとの再会含め、思春期から青春期を過ごしたシカゴなど、懐かしきアメリカへの里心も幾分あったはずである。 いよいよこの巻では、店長アメリカ物語の大トロ部分にあたる衝撃の事件があきらかになるのだが、その前に、愛してやまないケントじいちゃんと店長のつながり、その背景にある店長の家庭事情についてもう少し語っておきたい。というのも、じいちゃんに会うためだけに米国の南西部ミズーリまで行きながら、自分の家族が住むコロンビアにまでは足を延ばそうとはしない、家族が暮らすコロンビア・ボゴタに帰りたい、両親や姉に会いたいなどという言葉を今まで一度も発したこともなければ思ったこともない店長だ。店長が「スペシャル」と表現する生い立ちを知ることで、この者が持つ特異な運命と特殊な性格の所以がある意味妥当と納得できたりするからである。 まずは、本サイトにある「さそり座の店長とは」に示した店長家系図をざっと一瞥していただきたい。 店長が生まれ落ちた家庭環境は、一般的な家族のカタチに照らし合わせば、かなり多彩に多妻に込み入っている。 父親のアルフレッドは、店長の育ての母親である本妻のほか5人の女性ともそれぞれに愛情関係を持ち、それぞれに2人ずつの子宝に恵まれている。 そして、認知と養育費という男としての責任、本家の父としての威厳を両肩にドンと背負う度量と甲斐性だけはあったというべきか、店長の父、アルフレッドの女性たちはみな、生まれた子を自分の元で育てるに至っているが、店長の産みの母は店長を産み落とすとすぐ亡くなったため、店長だけが本家・アルフレッドの元に引き取られたというわけである。ちなみに店長の母はシカゴ在住で、店長の本当の出生地はシカゴ。けれど、彼の戸籍謄本、ID、パスポートの出生地は、コロンビアの首都ボゴタ。何かにつけて、「なんやねん!」「どないやねん!」「どっちやねん!」の混沌にまみれた店長のめんどくささは、彼が誕生した初っぱなから決定づけられていたのかもしれない。 そして、この父・アルフレッド。店長がそんな父に抱く感情とは別に、あかの他人のわたしから見れば、ともすれば誠意ひとつの話し合いでは折り合えないこじれたひとの感情にひと区切りのケジメをつけるに必要な経済力、なるほど女性陣たちを魅了してやまないのもうなづける往年の二枚目俳優のような秀眉な顔立ちを持ち合わせたやつであったことは、間違いない。なぜなら、よそに愛人や腹違いの子が大勢いても、「それが何?」と我関せずの心持ちで何不自由なく育つことができたのは、これをいうと真っ向から「I don’t think so」と完全否定してくる店長だが、そんな南米サクセス移民ファミリーのドン、アルフレッドのおかげといえるところはあるだろう。 なにしろ、たとえ父の浮気、愛人、隠し子という複雑な家庭環境ではあったにせよ、夜中にいきなり愛人が押しかけてきた、あるいは母親に手を引かれ連れて行かれたスナックでお母ちゃんと知らない女の人が髪の毛つかみ合ってもみくちゃに怒鳴り合うのを泣きながら見ていた… というような母親と愛人の修羅場やドロ沼の痴情のもつれに幼い心をいためた記憶は一度もないことは店長の数少ない幸運の最たるものだと、わたしは思う。 そしてまた、こう言っては何だが、ともすれば「子どもがかわいそう」といわれてしまうような愛人と腹違いの乳兄弟が数え切れないほどいる生い立ち環境ではあっても、そんな世の常識や予想に反して、すくすくと、今現在もぷくぷく成長し続ける店長。 その半生をわたしなりに分析すると、普通はまま起こりうる問題、およそそうなるであろう困難からはまぬがれ免除される確率が高いことに気づかされる。が、その代わり、普通は起こりようもないような災難、まさかのトラブルを当てる確率は、4打席連続ホームランを記録する打点王なみの異例といえよう。 そんなわけで、このたび店長が8年振りに会いに行ったグランパ・ケントじいちゃんは、店長が名前すらしらない「産みの母」の父親である。 じいちゃんも、その名を口にすることも、娘(店長の母)のことをことさら語ることもなく、店長もそれを敢えて訊ねることはない。 血のつながりは、さも、切っても切れないつながりだが、それが、人が人を思う絆になるかといえば、それはそうとも限らない。 わたしも幼いときからそう思ってきただけに、そういう店長の一見冷淡に思える沈黙の機微には深くうなづけるところもある。 現在もコロンビアやアメリカに暮らす父や母、姉や妹のことは家族として大切に思う気持ちはあるものの、そんな彼らに対する店長のまなざしは、非常に客観的であり、自分とは相容れない性格、考え方、価値感を持つ最も近い他人というドライで冷めた家族観を持っている。が、このケントじいちゃんに対してだけは、ただただ理屈抜きに、じいちゃんが好き! と、なついて、なついてたまらない、おじいちゃん子のそれだ。 たとえじいちゃんの政治イデオロギーに賛成できるところはまったくなくても、たとえトランプ支持派であっても好きな気持ちは変わらない、店長が慕ってやまない唯一の存在。それが、93歳のいまも、わたしにはどことも知れぬミズーリー州にあるモネットという町にひとり暮らすケントじいちゃん、グランパなのだ。 ニューヨークからシカゴへ、そして名前の響きだけでバーボンとブルースが指を鳴らしてボボボンボボンと迫ってきてほしいような名前の街・スプリングフィールドへ飛行機を乗り継ぎ、そこからルート66を西へ向かってえんえん車を走らせ、93歳のグランパ(おじいちゃん)が待つモネットへ。 「ハニー、今、僕はアメリカの心臓部を走っているよ」 と、日本で飲み歩いているわたしのもとへ時折届けられる店長のメッセージ。 アメリカ大陸のどこにも足を踏み入れたこともなければ、州の名前も地理もさっぱりわかっていないわたしが思い浮かべられるイメージといえば、広漠と赤茶けた大地にサボテンが立つ荒涼なアメリカンロードをさも懐かしく眺め見やりながら、ここぞといきってアクセルを踏む店長の得意満面のドヤ顔だけだ。 それって、言ってみれば、「東名高速から中央道出て、小牧からようやく名神。あ、そろそろ滋賀入るわ」みたいなことかいな。と、それが世界のどこだろうとわたしのマップに引き寄せ置きかえ初めて「もうすぐやん。気をつけて」となるチュンチュンもまた、どこまでも狭い日本列島の了見を脱することなき者である。 卒寿九十を超えても尚かくしゃくと元気なグランパの笑顔を見て、ああ、会いに来てよかったと、グランパへの思いひとしおな店長。 グランンパの向かいにはグランパの息子夫婦が住んでおり、日常の買い物や病院に行くなどの世話は彼らがしているが、その息子夫婦はグランパの本当の気持ちをわかっていない、話し相手にもならなければ、白内障のグランパのケアも十分ではない。だから明日、朝一番で、「僕がグランパを眼医者につれていくんだ」という店長の不服と批判。傍から見れば、それはいわば、何年ぶりかにたまに都会からやってきて、毎日面倒見ている本家の「義姉さん」にああだこうだケチをつける小姑のそれであった。 東京とミズーリ。12時間の時差も考えず、ひっきりなしに店長が送ってくるグランパの生活、グランパの日常をしみじみと思いながら、考えさせられたことがある。それは、老後の独居、老後の寂しさ、老後の孤独をさも哀れなものとして、世間も本人も悲しめに思いすぎる日本の風潮だ。 毎朝、しわしわの痩せこけた腕で小麦粉ミックスをかき混ぜ、パンケーキを焼くグランパ。雑然と自分の興味や関心のある本や物にあふれた部屋には、絵描きでもあり美術教師だった頃の作品や若かりし頃の家族の写真が飾られ、夜になると長年慣れ親しんだ長いすに横になり、なんの酒だろうか、自分でろ過して貯蔵したアルコールをちょっと舐めるように飲み、眠りにつく。 そして、スーパーやレストランにお出かけの日は、ここぞと政治メッセージ色の強いTシャツに着替え、社会に物申す個の気概を失わないグランパ。 そのライフスタイルは、極めて気ままなひとりぐらし、でしかない。ダイナーで頬ばるピザの味、食後になめるソフトクリームの味は、初めてそれを食べた5つの頃から93歳のいまに至るまで「おいしい」のひと言。なんら変わらない。きっと、ひとが年をとるというのは、そういうことなのかもしれない。それは、ことさら哀れなことでも、ことさら素敵なことでもなく、あたりまえのこととして。 グランパと過ごす日々に、何を思い、何を感じたのか、自分の思いや感慨をすくうように言葉にする情緒的な話はほんまに苦手なサイエンティストな店長だが、久しぶりに訪れ見たアメリカの町、アメリカの人々、アメリカの現状について、良くも悪くも、変わらないあきらめと確信を得たようなことを洩らしていた。 そして、「また必ず会いに来るから!」と固いハグと約束を交わしグランパの家を後にした店長は、その日中にまたスプリングフィールドからシカゴに飛び、翌日にはパリに帰国するはずであった。 さて、ここまで引っ張りに引っ張られながらも、まだかまだかと読んでくれている辛抱強いみなさん。お待たせしました。まさかの「アメリカ入国不可」も空振りに終わったNYも、すべてはこの時のためにあったのかとのけぞるような店長の大一番。 今日の、そのとき、は、ここからです。 その朝、学芸大のレンタルマンションで目が覚めたチュンチュン。 朝一番の尿意に身を起こし、枕元の携帯を手に取ると、えっ、 なにコレ?? 犯罪映画かドラマのメインビジュアルのように、あやしげにカメラを見つめる店長と女性の写真に「誘拐犯容疑」のタイトルが打たれたニュース画像。 そして、アヒルからのやいのやいののメッセージ。 「チュンチュ〜ン、起きた? 起きた? 店長が、店長が、誘拐犯で捕まってる〜!!!!」 いや、ほんま、しかし、だから、なにが? 信じられない事実をつきつけられたときに浮かぶ言葉というのは、せいぜい、そんな程度だ。 とにかく、「フォーカス!」ばりの店長ニュース画像をクリックし、あたりまえだが全文英語で書かれた記事をどうにかこうにか読み込めば、そのモネットの町で誘拐未遂事件が起きたことはわかった。が、だからといって、そこでなぜ、おまえが捕まるか。 そのモネットの新聞によりますと、木曜の夜、モネットの小学校か中学校だかでサッカーの試合があり、その観戦中に、10歳の男の子が誘拐未遂事件に遭ったと。言葉たくみに連れ込まれた犯人の車から無事脱出したという少年の供述では、犯人は、長髪でメガネをかけたフランス人らしき男とブロンドの女性。で、そのサッカー観戦に来ていた市民のひとりが、この辺では見慣れぬ不信なヤツと、こっそり店長を携帯で写し撮った写真を「きっと、こいつらが犯人ではないか」と警察に持ち込んだ1枚の写真で、「モネット中学校誘拐未遂事件」の容疑者として警察に連行され事情聴取を受けることになった店長。 そんなこと、普通、あるか。いや、普通はないだろう、店長以外。 一応、いま、店長がどういう事態に陥っているのかは、おぼろげにも理解できたチュンチュンとアヒルだが、そんなふたりの疑問は、「で、どうなるの !?」。 しばらくして、店長から届いたメールには、事情聴取の結果、容疑の確証を裏付けるものは何も出ず、ふたりの容疑者は開放されたというモネット町のオンラインニュースが添付されていた。またそれを、電子辞書片手に読み解きながら、ああちゃうか、いや、こうちゃうかと、パリー東京の交信チャットにいそがしく喧しいチュンチュンとアヒル。 容疑が晴れたのなら、とりあえず一件落着ではないかと、店長にメールを送るも何の返信もない。と思えば、いきなり、「ハニー、僕は今、セントルイスの友人の家に向かって車を走らせている。警察は僕を追っている。パリには帰れないかもしれない…」という、次から次へと疑問と不安しか与えない断片的な事実の切れ端のみを送ってくる理系な店長。どうやら、モネットを後にした店長を逃すまいと、市民タレコミの店長フォト(上の写真)を手にしたポリスが高速道路から空港に至るまで捜査網を張り巡らせ、店長の消息を追っている。そんな意味不明なスリルとサスペンスの渦中にある、店長のミッドナイトラン。 もういい。もうわかった。とにかく、あんたは逃げている。で、そこから自分、どうすんの? と、こちらが何を質問しても、返事はない。 しばらくあって、店長から来た続報はこうである。 「ハニー、アモール、僕はいま、セントルイスの友人の家にかくまってもらっている。たったいま、新たな警察の事情聴取を終え、身の潔白が証明された。その記者会見のテレビ取材のために、スカイプの待機中 NOW 」 えぇぇぇぇぇ、あんたテレビに出るのぉぉぉぉ!!!! しかも、まさか、NY出発前、あわや店長アメリカ入国不可の危機に備えたアヒルとわたしの軍議の中で飛び出した「スカイプ」ネタが、いまここで回収されるとは。 もう、何が何だかおののきたまげ、あわわ、あわわとアヒルに打電し、店長テレビ出演の一報を流すチュンチュン。Webマスターのアヒル、出演動画の保存キャプチャー待機という連携プレイにより捕獲した店長テレビ画像は、こちら! そして、容疑が晴れた記者会見のテレビ放映後、まだあるか、「逮捕状請求の危機」を報せる店長のメッセージ。 直訳すると、 「僕は今、新たなポリス(合衆国にどんだけいるのか、新たなポリス)に身柄を拘束されている…」 そんな店長の一報を受けて。 アヒル「新たなポリスって、捜査2課から捜査1課、みたいなもんか? もしくは所轄から県警、みたいな?」 チュンチュン「たぶん店長、モネットからセントルイスに移ったから所轄が変わったんやろ。静岡県警から群馬県警、みたいな」 アヒル「なるほど」 しかし、このまま店長が無罪の誘拐容疑でアメリカの拘置所に入れられてしまったら、自宅のアパルトマンからギャラクシー、いったいどうしたらええねん! そんな、如何ともしがたいことしか待っていないパリに戻ることを、正直、悪いけど、「やめさせてもらおう」と思うしかない東京滞在中のチュンチュンであった。 セントルイス市警の取り調べは、同じくモネット誘拐未遂事件の容疑者にされてしまった店長の姪っ子・レベッカさん(モネット在住)の懸命な供述と証言によって訴追はまぬがれ、ポリスからも「疑ってゴメン」みたいな軽い謝罪もあり、無事放免。「今から空港へ向かう」という店長のメッセージに、ようやく一件落着と思いきや、その後、シカゴの空港のアラームが鳴り、空港警察に取り押さえられた店長から、「ハニー、僕はパリに戻れないかも知れない」というメール。もはや、そんなおまえにかける言葉があるとしたこれだけだ。 「もう、ええわっ!」 刻一刻、大丈夫じゃない方へ、なんでそーなるかの鐘が鳴り響く方へと進んでいく店長ドラマの展開を追いながら、ああ、これは明日、羽田からアメリカに飛び、モネットかセントルイスの警察で、金網越しに店長と面談しなければならない自分の今これからを想像し、五臓六腑総動員の深いため息にうっかり魂まで吐きそうになったわたしである。 このまま店長がセントルイス警察に拘留されてしまったら、それこそ、アヒルよ。わたしら、ケントじいちゃんを車イスに乗せ、「Not guilty!Tencho」のビラをどこかわからん駅前で撒きながら片言の英語で店長の無罪を訴える日本人になるしかないことになるがな。 チュンチュン「まあ、行くしかないゆうても、モネットって、セントルイスって、どこや? みたいな話やけどな」 アヒル「たぶん、アメリカの南の方の真ん中あたりやろ、ゆうてな」と、そうなったらそうなったで、じいちゃんには、「無罪」の二文字を胸に刻んだTシャツを着てもらい、店長のえん罪を訴えんがためモネットの駅前で辻立ちすることになるのはやむを得まい。そんな、なんの縁もゆかりもない3人が遥かアメリカの地で共に闘う姿を想像しながら、どこまでもわけのわからん人生の何たるかに瞼を閉じ、観念するわたしであった。 とはいえ、次から次へと最悪しか呼び寄せない疫病神のくせに、最後の最後は結局助かる九死に一生運だけはものすごいやつだけに、シカゴ空港警察の取り調べをどうにか交わし、無事出国ゲートにたどり着いた店長。もうええ加減、終わりにしろと念押しに問いかけた返事はこれ。 「ハニー、アモール(もうええっ!ちゅうねん)、アメリカの警察はどこまでも追ってくる。フランスの空港に、インターポール(国際刑事警察、“ルパン三世” 銭形警部)が待ち構えているかもしれない」 どこまでもひとを安心することを許さない店長に贈る言葉。 「ほな、もう捕まれや!」 なにがなんだか、ありえない誘拐容疑の汚名をかぶり、シャルル・ド・ゴール空港に落ち延びるように降り立った店長のうめきにも似たメッセージ。 「ハニー、アモール、僕の人生は、なぜ、こんなスペシャルなことばかり起こるんだ」 嘆いてるのか誇ってるのか、訳すに困る英語で心中を投げかけてくる店長に言える言葉もまた、これしかない。 それもこれも、全部、「おまえやねん!」 と、これが、昨年の9月に巻き起こった店長のアメリカ物語の一部始終である。 おまえが動くと、何かが起こる。 そんなおのれの何たるかを知ることなく、今日はイラン、明日はアメリカ、明後日はオマーンへ、動き回る店長がいる限り、この地球の片隅にいるチュンチュンに、平穏の二文字はない。