運がいいとか悪いとか、人が時々くちにする人生イロイロだけでは共感しきれぬ奇怪な運勢を持つ地球上生物、店長。 なぜなら、「さそ店」読者のあなたはとっくにご存知、コロンビアの奥地で石油探索中にテロに拉致され、今日殺されるか明日死ぬかという極限苛酷な捕虜生活2年の末、生還。さらに、アフリカのコンゴでは、現地のギャングに銃とナタを突きつけられ監禁されるも、見張りの隙を狙って命からがら脱出したような経験も、約3回。また、過去の本編にもあるように、NYでは誘拐犯に間違えられ逮捕寸前に追い込まれ、マレーシアでは、宿泊ホテルに戻れば、ホテルがこっぱ微塵にテロ爆破されていたという、人の一生に1度あるかないかの未曾有の惨事も、車の当てこすり事故くらいよくあることととらえて離さぬ店長の人生。 その日常、よくぞそこまでと呆気にとられるほど、あたりまえに、完璧なまでに、見事に異常な店長パターンを見るたび、これはもう運というよりおまえ自身がそういう星なのだと、冷静に忌憚なく、そうとしか思いようがない。 そして、この者。そうした数々のありえない窮地からは絶対にカムバックする空前絶後の強運(ギャラクシーではそれを、店長の “九死に一生カード” と呼ぶ)を持っているかわりに、普通にありえるささやかな「ラッキー!」は驚くほど、哀れなほど、持ち合わせていない。 まず、小さな暮らしの場面からあげつらえば、店長がお気に入りのレストラン、ショップ、商品はことごとくクローズまたは廃番となる。 店長愛用のシャンプー、ボディクリーム、デオドラント等々、「これ買ってきて」と頼まれ買いに行って、それがあった試しは一度もない。 無論、そんなヤツだけに、駐車場探しに1時間はあたりまえ、どこか郊外へとドライブにでかければ、ストライキやパリマラソンなどよりによった間の悪さで通行止め、記憶に新しいところで言えば、ホームセンターの駐車場に入ろうとするなり、クレーン車と警備の者が笛を吹いてやって来て「今から工事なので、この道は通行止め。入れないよ」と、ウソみたいな猛バックを強いられる店長だ。 先日も、ちょっと一杯ビールでもと、店長が以前見かけたというメキシカン・カフェに行こうという誘いにうっかり乗って向かったが、延々、探し回ること30分。 このノドがビールを欲してから30分も歩かされるありえなさに、辛抱たまらんチュンチュンの苛立ちは頂点に。 「あんた、いったい、どこで見たんよ!!」 「ああ、ここ、ここだよ!」と、店長が毅然と指差すその先にあるはずのメキシカン・カフェは、「賃貸」と書かれた空きテナントと化していた。 さらに、わたしは今まで、店長と共に、シンガポール、マレーシア、タイなど様々な国を旅してきたが、店長がブッキングした部屋、設備、内容がそのままその通り受付けられていたことも一度もない。通常ならありえないような手違いが必ず起こる。間違いなく、起きる。いや、起こす。 彼が尋常ではないレベルで持っているのは、そういう魔力だ。 ダブルルームで予約していたのがツインだった。 バスルーム付きで予約したのに、シャワーだけ。 オーシャンビューを予約してカーテンを開ければ、どこにオーシャン? スーペリアな部屋を予約したはずが、部屋はそらもう広々ステキ、しかし、思いっきり空調ボイラー室の横というまさかの間取り。 一晩中、「ゴォォォォォー」、「ブルブルブルッ、ドドドドー」という不気味な騒音を枕に寝るにも寝られない、なんぼなんでも「これはない」部屋を与えられるの当たり前。 あげくに、清掃スタッフが食い散らかしたみかんの皮、読み散らかした週刊誌がベッドの下に転がっている、どこがスーペリア? という現場を目撃するや、すかさず、iPhoneカメラ起動に激写。 それをまたSNSにクレーム投稿という面倒くささを人としての当然の権利と信じ、「これは、ないよなぁ」と笑って済ます術を知らない店長。 たぶん、おそらく、間違いなく、おまえの運の悪さは、すべては己の執拗なさそり座の性に端を発しているとしかいいようがない。 システムの間違いか、何かの手違いでこうなったホテルの不手際を、フェイスブック、インスタグラム、ツィッター、トリップアドバイザーなどあらんかぎりのメディアを通じクレーム発信することに貴重な旅行の1日を費やし、それを見たホテル側は、「こりゃたまらん!」と部屋交換を申し出ざる得ないところまで追い詰める、さそり刑事・テンチョー。 つまり、店長との旅行においては、ああ、やっとホテルに着いたと、スーツケースから衣服、靴、洗面化粧道具すべてのものを取り出しセッティングし、やれやれ、ちょっとくつろがせてもらおうかとベッドに横たわった瞬間に、緊急避難警報を浴びせられる住民のごとき火急の荷造りを強いられるハメになる。 「オールOK(してやったドヤ顔)今、僕は、彼らに、要望通りの部屋を用意させるオーガナイズを完了した。Soハニー、さっそく今から部屋移動のためのパッキングだ!」 いやいやいやいや、もう、ええやん! これはこれで、別にそこまで目くじら立てずとも、「なんやねん!」とちょっと愚痴れば済むような話やん。 悪いけど、この期に及んでは、要望とは違う部屋をあてがったホテルより、おまえのその執拗なまでのオーガナイズ、今からまた荷造りする方が百倍面倒くさくうっとうしいに決まってるやろぉぉぉぉぉ!!!!!! と、旅行初日はバトル曜日。楽しいはずの旅行が一瞬にして険悪極まりない別れの時となるのが店長とチュンチュンの旅のシナリオ。 もはや、わたしの中では、ヤツがフロントデスクにチャックイン。それは下手すれば30分、いや、1時間あまりのネゴシエーションタイムの始まり。 その間はただひたすら、煙突みたいにタバコを吹かし、「もう、ええねんけど…」とイラつきながら待つだけのロスタイム。 そして、ポーターに連れられ、部屋に入り、チップを渡して扉を閉めた途端、掘った穴をまた埋める不毛な作業を繰り返すような「荷ほどき&荷造り」という混沌を味あわされる。それが、店長と行く旅の “しおり” 。 そんなもんと丸4年。なぜ、居るのか?と訊かれたら、返す言葉はひとこと。 「知らなかった」としかいいようがない無知の涙。 ただ、なんだろうか。運命を共にする気などさらさらない、むしろ、できるものなら離れたい、切れるものなら切り捨てたい、が、関わり合ったが百年目。日本のわたしたちが、ことあれば「きずな」というコミットメントとは何かといえば、如何ともしがたい因縁しかないのではないか。 わたしも、そういう因果な性を生きているものではあるが、店長を見ていると、自分の運のなさなど全然まし、むしろ幸運に思えてくるから不思議である。 そして今現在、店長の九死に一生カードは、残り3枚(チュンチュン&アヒル調べ)。 それが切られるときの窮地の程を、できれば知らずに終わりたい。