どんな業界、どんな仕事であれ、社会に出て働く上で、親より何より大事と徹底して叩き込まれるヒューマンパワー。それは、段取りと根回し。
何をどうすれば一番無駄なく滞りなく事が運べるかという物事の順序を見極め、そこに関わる人たちの事情や心情を問わずとも察し、汲み取り、みんなの負担ができるだけ少なく済む方法で事なきを得んとする。それが「和をもって、やったるで!」を可能にする大和浪花の段取りと根回しの奥義である。
そして、常に先方周囲の思いを忖度し、社内外のしがらみ情勢に神経を磨り減らし、念には念の段取りで、抜かりなく事が運ぶと思いきや、そこはすんなり一筋縄ではいかぬ人の世のややこしさがあることをことあるごとに学んできた日本人にとって何が一番考えられないか、といえば、この者、店長である。
そういう気働きの大切さを教わったこともなければ、目配り、気配り、心配りというものが一滴も1mmも備わっていない店長の考え、行動のおよそ90%は、わたしから見れば、無駄、無理、無茶のひとことに尽きるといっていい。
「いや、それをするなら、まずこれを」というひとの進言、助言は一切無視して、今、自分がやりたいこと、今、自分に必要なもの、今、自分がいいと思った衝動だけで動く。つまり、発注する。結果、費用だけがかさみ、在庫だけが残され、「なぜだ!なぜこうなるんだ!」と絶叫する店長の激昂パターンを、わたしとアヒルはもう何百回、「だから、言うたやん…」と見つめ続けてきたことだろう。
漠然としていてわかりにくいかもしれないが、この者のおかしな特性は、ざっとこのような店長の日常にアリアリと見て取れる。
・今しなくてもいいことを長々根詰めて集中してやる。
・今しなければならない、と思った瞬間、パニックに陥る。
・今しなければ間に合わないから各々が各々の仕事に勤しむそばからいちいち「ああしろ、こうしろ」イチャモン付けにしゃしゃり出てきて、人の神経を逆なで、まわりの志気を下げ、百歩譲って手伝っているチュンチュンの虎の尾を踏みしだき、「ほな、おまえがやれよ!」と皆が去ったギャラクシーで、肝心の自分の仕事も手つかずに、孤独ケ淵でボートを漕ぐハメになる。
・石油仕事がパツパツの状況で、1週間後にはイラクへ、アフリカへ、という一分一秒でも惜しまれるときに、わざわざイベントを立ち上げ、「僕には時間がないんだ!」とまるでわたしたちがおまえをそんな窮地に追いやったかのような口ぶりで当たり散らす。自ら自らの首を絞めながら「僕は苦しいんだ!」と泣き叫ばれても「知らんがな」としかいいようのない自滅プランを「イベント名」を変えて、何度も立ち上げる。
・相手に確認しないといけないことを確認せず、確認する必要もないわかりきったことを「何回同じ事訊くねん!」と怒鳴られるまで、しつこく確認する。
・先方のOKを待ってから初めてGO! となるような「どうなるか、まだわからない」保留状態、Yes と Noの間(あわい)にたゆたう時の流れに耐えきれず、勝手にゴー、あるいは勝手に「(この話は)ナシだ!」。 「ファーーーック!!! 」の嵐を自ら巻き起こす。
・今から出かけるぞ、もうすぐ人が来るぞ、という段になって、ガサガサ、ゴソゴソ、カメラの修理とか、コンピュータの配線のやり直しとか、今一番どうでもいい作業に没頭する。
・いつ見ても、アレがない、コレがないと、何かを探している。さらに、今初めてそんなものをおまえが持っていたことを知らされるような石油ワークのGPSケーブルなど、どんなものかも見たこともない、相手が知るはずもない物を、「僕の麦わら帽子どこ?」くらいあたりまえの口調で、「僕のGPSケーブルがどこにあるか知ってるかい?」。 そういう手前勝手な認識力が凄まじい。
と、まあ、その手の意味不明な特徴を挙げだしたら、一晩しゃべっても、しゃべりきれないくらいキリがない。中でも、ギャラクシー史上、わたしとアヒルの記憶に刻まれた、忘れられない「店長の段取り」といえば、南仏アルルのバカンスを終えての帰路である。
アルルというのは、フランス南部にある地中海沿いの町で、夏には世界的に有名な写真フェスティバルが開かれることで知られている。
あれは3年前の夏。わたしとアヒルは店長の誘いに乗り、そして壁掛け師の正平とともに、写真フェスティバル真っ只中の南仏アルルで2週間のバカンスを過ごした。プール付き、庭付き、畑付きの一軒家は、わたしたちがイメージする「南仏プロヴァンス」の洒落っ気たっぷりに、キッチンのタイル、食器の柄、カーテンの柄、棚の飾り付けなど、そこここに、オーナーマダムの趣味なのだろう、世界共通、花柄、リボン、ピンク、動物という可愛い物好きな「おばちゃん」ならではの欧風ロマンが咲きほころぶ洋館であった。
そこで、わたしたちは、南仏プロヴァンスの太陽が降り注ぐ庭でモーニング、昼間はプールで水遊び、夕方は毎晩バーベキュー、夜は寝るまで箱ワインを石清水のように呑み倒して眠りにつく、まさに、これぞバカンス!というバカンスを過ごし、店長ひとりがブクブク肥え太ったわけであるが、問題は、店長にまかせたバカンスの帰路ルートにあった。
パリからアルルまでは、車で約6〜7時間、いわば大阪—東京を車で行く距離である。パリからの行きの道中、ランチ休憩も挟みつつ、ほぼ半日がかりでたどり着いた疲労を思い、アルルとパリの間で1泊して帰ろうと、当然、店長もそのつもりで段取ってくれているだろうというのが、わたしとアヒル、帰りのメンバーのあたりまえに暗黙の了解であった。
それが、まさか。いや、この「まさか」を予測できなかった自分たちが悪いのか、けれど、こんな「まさか」をいったい誰が予測できよう。
2週間の滞在荷物を店長ベンツによいしょと詰め込み、意気揚々とアルルを出発したわたしたちは、そこで初めて店長に、中継宿泊地を訊ねた。
「ふふふ、とても美しい村だよ。どのくらいかかる? そう、ここから4時間くらいかな。僕はねぇ、元カノと昔、そこにキャンプに行ったんだよ。星空がWOW! ファンタスティック だったよ」
いや、星空がワオでもギャオでもチャオでも、それはなんでもええとして、で、宿泊地はどこよ? の疑問だけが依然残る、店長の返し。
ただ、まあ、ここから4時間も走るなら、リヨンかリモージュか、東名高速を東京から大阪へひた走る東海道中でいえば、名古屋か岐阜羽島で1泊みたいな、とにかくアルルからパリへ北上する道の途中、フランス中心部の町に決まっているだろうと、当然それ以外ないだろうと頷き合うチュンチュンとアヒル。
しかも、そんな中継ぎの宿泊地が、そこまでwow wow身もだえするほどファンタスティックな場所なら、わたしたちとて、そりゃもう「ワオな話やなぁ」と、ことさら正確な地図上の位置を店長に問うこともなく、翌朝、アルルの町から北行きの高速に乗り、どこかに向かって出発したわけである。
延々のどかに眠気を誘う田園風景が続く高速道路を下り、円形の広場、教会、市役所、パン屋、カフェ、市場が並ぶフランスのどこかの町からどこかの町へひたすら車を走らせること4時間。店長の車は、しだいに国道を離れ、気づけばカーブのきつい山越えロードへ。バックミラーに見る後部座席のアヒルは、ジュリーのごとく「勝手にしやがれ」ということか、麦わら帽を鼻っ面にかぶせ、だんまり寝入ってしまっている。いったいどこに向かっているのか、南仏の太陽にカラカラに乾燥した褐色の林が茂るカーブを右に折れ左に折れ、もはや、カーナビのルート表示も消え去った峠道。このままハンドルを切り続けて行き着く先は、どう考えても、明日の朝、すぐに高速に乗れるような街ではあるはずがない。
そんなわたしの疑いに満ちたまなざしに気づきもせず、何を聞いても、話しかけても、真っ直ぐ前を見てハンドルを握る店長の異様なまでにはりつめた表情。やたら苦み走った眉間のシワ。そう、それは、「只今パニック中」のサイン。
案の定、道に迷ったらしい…
せっかく超えた峠道を引き返すことまた1時間。そこからまた別の山道を走り直し、結局、店長がめざす目的の宿に着いたのは、日も沈みかけ、うっすら暗くなり始めた20時前。アルルを出発してからここまで、およそ7時間。ということは、どういうことか。
パリまでの長時間ドライブの疲労をやわらげる中継宿泊地までの走行時間が、なんでパリまでの走行時間と同じやねん、と。それだけ走ったら思いっきりパリに着いてまっせ、ということである。
車を降りた瞬間、全身に感じる澄み切った山峡の空気。中世の歴史がそそり立つ断崖、悠久の時を奏でる清流の水音、かつては要塞だったという山の斜面に広がる岩窟な建物、時空を超える迷路のような小径….
そこは見たこともない別世界。フランス、いや、世界で最も美しい村といわれる「Balazuc(バラズーク)」。
もし、わたしたちが、この秘境の村をめざし辿りついた旅人なら、わたしもアヒルも、その夢のような光景にどれほど心奪われ、感動したことだろう。
が、しかし、ここがフランスで最も美しい村だろうとなんだろうと、パリまでの帰路を急ぐ今のわたしたちが立ち寄る村は、絶対ここではない。
東京から大阪、途中で休憩一泊というときに、なぜ、わざわざ、信州の山間にある秘境の里に? もっといえば、和歌山から大阪へ帰る途中に、なぜ吉野熊野の山岳地帯に、誰が立ち寄るかと。その不毛な道筋を自分の土地勘でたとえればたとえるほど、ハラの底から煮えたぎり、逆巻き渦巻く怒濤の「なんでやねん」。暮れなずむバラズークの空を舞う鳥たちまでが、くちばしの前で翼を振って「ないわ〜、ないわ〜」と飛んで行く。もう、それくらい、何がどうあっても、いま、ここで、それは「ない」、店長の魔境チョイス。
そして、せっかくたどり着いたのに、こんなに美しく素晴らしいフランスの村に連れて来たのに、なぜかムスッと不機嫌なチュンチュンとアヒルに、「nande ナンデ?」と小首を傾げる店長。何が彼女たちの気に触ったのか、ああそうか、この丘の上の民宿ホテルのインテリアが、すべてIKEAで揃えたようなチープで残念なものだったから彼女たちは怒っているのだな、と、これまた大きく的外れな結論に至る店長。
「ゴメーンヌ(ゴメン:店長語)ステキな部屋じゃなくて、僕もガッカリだよ」
いや、ちゃうねん、そこじゃないねん、店長。インテリアやカーテンや食器の趣味がどうとか、この期に及んでそんなことはどうでもいいねん。謝る必要なんか、なにひとつないよ、店長。
ではなく、そうじゃなくて、われわれが今、どうにもやりきれず抑えきれない怒りに震えているのは、この状況、この流れで、「ここ」をチョイスするあんたの方向性が、断じて「ない」からなんですわ! 店長。
アルルの夜。庭のテーブルでワインを飲みながら打ち合わせたわたしたち。
「パリまでまた7時間ドライブはしんどいね」
「途中の高速で下りて、近くの町で一泊して帰らない?」
「そうだね、そうしよう」
「OK! I organaize (僕が段取りするよ)」
と、言うが早いか即座にパソコンで宿予約を始めた店長。その時、やつの頭の神経伝達物質が何をどう伝達したのかは知るよしもないが、おそらく、観光宿泊予約サイト「トリップアドバイザー」の画面を開き、アルルからアクセスできる色んな観光地を目にした瞬間、店長の頭の中から「ドライブ時間短縮、疲労軽減」という本来の目的、できるだけ快適に無理なく帰りたいというみんなの意見はすべて消去され、そこにあるのは、ただ単に「自分が行きたいところに行きたい」店長のマイウェイのみ。
そこに至るおまえの頭の中までは防ぎようがない。そこが、人の予想をはるかに超える意味不明な店長の段取りシステムの怖ろしさなのである。
「世界で一番美しい村」でさえ、「世界で一番ここじゃない村」に変える店長の段取り力。しかも、その力を思い知ったときには、後の祭りというのだから、現代を生きるわたしたちは、後でボロクソ言う以外、今のところ、どうしようもない。
世界で一番美しい村といわれる「Balazuc(バラズーク)」が、世界で一番ここじゃない村に変わるとき。
「店長がマヨネーズくらいの大きさやったら、許せるわ」という
チュンチュンの願望イメージをサラサラとデッサンする正平師匠。
自我の羽を孔雀のように広げた小魔物テンチョー画。抽選で1名の方に(笑)