夏も近づく6月末。梅雨などないはずのここパリが、来る日も来る日もどしゃ降りの豪雨続き。郊外では洪水被害が発生し、花の都を流れるセーヌ川も危険水位に達するほど増水し、千年に1度の水害が危ぶまれていたちょうどその頃。
店長ギャラクシーでは、ナイジェリアの来賓をもてなす食事メニューの打合せ、買い出し、仕込み準備に追いまくられるチュンチュン&アヒル。
というのも、来たる6月21日から3日間に渡り、ここギャラクシーにて、ナイジェリア石油関係者を招いての店長白熱教室、名付けて「地球エナジー最前線!店長が語る、ここ掘れ!オイルセミナー」が開催され、そのセミナー期間のケータリングサービスを、このわたしたちが請け負うことになったからである。
アフリカのナイジェリアの方々のお口に合う料理がどんなものかは見当もつかないが、それを耳にした瞬間には、もはや待ったなしの急務を迫る店長スケジュール。
例によって例のごとく、「できますか? できませんか?」の伺い、「その日、開いてる?」というような確認抜きに、知らないうちに勝っ手に「ケータリングスタッフ」としておまえのプランに組み込まれ、その話を聞いたときにはすでに「やるしかない」状況に追い込まれているギャラクシー展開。
けれどもそこは、常にギャラクシーのパーティ・イベント事となれば、なんやかんやの段取り・下働きをなんなとちゃっちゃとやり切ってきたわたしたち。
「ま、なんとかなるやろ」と引き受けたのだが、フタを開ければ、これがまた何と言おうか、
「おまえ発、おまえ絡みの催事行事が予定通り滞りなく済むことは絶対にない!」 。
そんな嫌と言うほど知ってるはずの店長銀河の法則を、またしても思い知らしめされる3日間であった。
当初の予定では、セミナー参加者はざっと17名。何でもナイジェリアの代理店(何の代理店か分からないが、店長いわく、その名も「エージェンシー」)による仕込み接待イベントらしく、接待される方々はナイジェリアの石油関係者、クライアントだという。そして参加者それぞれが奥方を伴ってやって来るので、到着日の夕方のカクテルパーティ、そして3日間にわたるトークレクチャーの最終日には30人規模のケータリングサービスをキミ達にお願いすると。
そして、そのセミナーのスケジュールは、普通ならざっと以下のように進むはずであった。
6月21日
夕方5時に12人の石油関係者とそのワイフを含め、17人くらいのナイジェリア石油団がギャラクシーに到着。そこで、軽いおつまみとワイン、ジュースなどをお出ししての「ウェルカム・カクテルパーティ」。その後、店長は一団を引き連れてレストランへ。
22~23日
朝10時からセミナースタート。軽い朝食とコーヒー&紅茶、さらにバイキング形式の昼食を用意。
24日
セミナー終了日のため、お別れの茶話会的に「バイバイ・カクテルパーティ」。
が、つねに、何のつもりか重要な情報を小出しにする店長。念のためにしつこく繰り返すが、最初にわたしとアヒルが店長から打診されたのは、6月21日のカクテルパーティの仕込みと給仕。それが、2日前になって、実は3日間に渡るナイジェリア人たちの食事サービス係になってしまっていることを知らされ、あ然とやむなく進むわれら。このまったく身に覚えのない罪に問われるような驚愕の困惑、そして、後から後から腹の底から沸き上がる「それ、はよ言えんか?」の憤り。
この状態を、ここ、ギャラクシー用語では、「寝耳に店長」と言う。
というわけで、それを聞かされた瞬間から、明日には買い出し、明後日の午前中には、ナイジェリア人へのおもてなし料理を作る段取りに大わらわのわたしとアヒルなのだが、そこにまたしても尚、横から面倒な手間を迫ってくるモンスタークライアント、その名も店長。
「エージェンシーにケータリング費用の請求を出さなければならないから、概算費用を至急提出してくれ」
「いや、そんなもん、今すぐには分からんわ」
「 OK! では、今から何をどれだけ作るのか、材料はどれだけ必要なのか、僕が一緒に計算してあげよう。何しろ、今、きみは(必要以上に考えすぎて)冷静さを失っているからね」(直訳)
わたしの堪忍袋の緒が切れるとき。それは、まさにこういうヤツのひと言である。相手の状況、立場、心情を慮るようなニュアンスがまったく感じられない、「自分ありき」の不遜な英語の物言い。お分かりいただけるだろうか。
そもそも、ナイジェリア人の賄いサービスをわずか2日前に頼まれ、それをそつなくこなすだけでもなかなか手間のかかる仕事である。
そこに、たとえ早急に「見積もり請求」が必要になったとしても、その上、さらなる手間をお願いするときには、それ相応の心苦しさを表すお願いの仕方、頼み方、言い方、あって然りの上目遣いの「ごめん」と可愛げがまったくないこいつの何様イングリッシュに、腹の底から煮えたぎる勘弁ならぬこの怒り。
それはもう、このわたしが信長なら、市中引き回しの上、京の六条河原で処刑して、五条の橋でさらし首にしてやるほどの許しがたさである。
「急な上に面倒くさいこと頼んで、申し訳ない。大まかでいいから、それぞれのメニューにどれくらい費用がかかるかメモ書きにしてくれないかな。請求書を送らないといけないから」
もし、そんなあたりまえのひと言がこの者のクチから出たなら、それはもうやるしかないと、わたしがエクセルの表計算で見積り書を上げるくらい、気持ちよくやりますわ。それを、だ。嫁のやることなすことが気に食わぬ角の生えた姑のごとく、
「おや、おまえさんは、自分が作る料理にいくらかかるか、たかがそれしきのこともすぐには答えられぬとは、はぁ、いったい毎日何を考えて生きてるんだか。いいよ、いいよ、わたしがひとつひとつ手を取って教えて上げるから、おまえが作りたいものの名前を言ってごらん。えっ、さあ、どうしたんだぃ、それすらわからないのか、え?」とでも言わんばかりのとげとげしい英語を居丈高にペラペラ抜かしてくるから、普通に良識ある者同士のご家庭なら「あ、うん」で済むような日常のひとコマも、ここパリ17区のアパルトマンでは、食うか食われるかの修羅場と化すのである。
そんなこんな、英語と大阪弁が血道上げて怒鳴り合い火花を散らす修羅場を経て、「出したらええんやろ!出したるわ!」と出した概算見積もりメモがこちら。
こんな「巻き寿司」「ポテトサラダ」「マカロニサラダ」と、一見のほのぼのとしたメニューが並ぶメモ書きひとつにも、言うに言われぬ憤怒と激闘のエピソード抜きに語れない。そう、それが、店長と暮らすパリ。それこそ、素敵なパリの素顔を発信するモード雑誌「 FIGARO JAPON」「ELLE JAPON」では決して語られることのないもうひとつのパリを知りたければ、「さそり座の店長」を知るより他ないと見ていいだろう、そこは、もう、たぶん。
そして迎えたナイジェリア石油軍団の到着日。
ギャラクシーに着いた私の目に飛び込んできたのは、コンピュータ画面の向こうから何か言いたげにこちらを伺う店長の何とも言えない顔。
「あれ? ナイジェリアの人たちまだ?」
「彼らは来ないよ、パスポートのトラブルで」
「ええええええ!!!! はぁ〜!? 何それ????」
と、おののき仰け反っている場合ではない。仕事の打合せの帰りに「中華スーパーでギョーザを買ってくる!」というアヒルが大量に冷凍餃子を買ってしまう前にこの事態を報せねば!
「ギョーザ、まだ買ってないなら、買う必要なし。なぜなら、17人来るはずのナイジェリアン、渡航ビザが取れず、参加者2人や…」とメールを打つと、これまた同じリアクションですぐさまアヒルからの返信が。
「ええええええ!!!! またしても、想定外があたりまえのこの展開… とりあえず、万事了解や!」
そう、本来ならば、奥方含め30人のナイジェリア人で溢れかえるはずの店長セミナー。フタを開ければ、参加者2人、明くる日に1人増え、結局参加者3名というカクテルパーティもへったくれもない少人数。
が、たとえ相手が30人だろうと3人だろうと、店長のオイルを語る熱量、パッション、信念、血ィ沸き肉躍る思いの丈に貴賤なし。
3名のナイジェリア石油人を前に、自ら掘り下げてきた石油発掘フィールドワークの実践とノウハウ、自ら骨身に沁みて痛感している石油ビジネスの厳しい現状、そして自らに課している地質学者としての矜持と責任など、これ以上の「自ら」があるかというくらい、ありったけの「自ら」を全身全霊で熱弁スピーク&熱血スパークする店長。日常生活ではただただくどい、よかったな、知らんがな、もうええて! と突っ返したくなる「店長スピーク」が活きるのは、やはり「自ら」を自らどれほど語り上げるかが問われるプレゼンテーションの場である。
これまで、世界のオイル業界でちょっとは名の知られた地質学者として様々な石油ビジネスの見本市や講演会、シンポジウムに招かれ出かけている店長だが、つねにその場では「ベストスピーカー賞」に輝き、クリスタルのトロフィーやらメダルやらを持ち帰ってくるところを見ると、そこは自分には到底マネのできない武勇を持ってるヤツとして、そこは、そこだけは見上げるしかない日の本イチ、いや、世の本イチの「みずから」なのである。
そんなこんなで、アヒルとチュンチュンとしては、いつも通りわけが分からぬまま行き過ぎたナイジェリア石油人の集い3days。われわれの収穫は、やはり、彼らのお口に合うのは「揚げギョーザ」という、揚げ物の重要性をあらためて認識できたこと、と言えようか。
ただ、何というか、それを企画した時点では、まさかこんな状況になるとは思いもよらないような不測の事態が必ずや何か起きる店長の必然、宿命、デスティニー。もちろん、当の本人も、思いも寄らない展開であるには違いない。が、今まで、おまえ発の企画・催事・物事に「不測の事態」が起こらないことがあっただろうか。ない、断じてなかった、わたしが知る限り。
ナイジェリアの人たちがビザを取れなかったのも、当初の予定が総崩れに崩れたのも、偶発的な「アクシデント」と捉えて離さない店長。が、いいか悪いかは別にして、何かにつけて「そもそも」の元を辿りたがる癖のあるわたしの感覚からすると、元はと言えば「おまえ」が持ってる何かよからぬものがそうさせている、そういう流れに向かわせていると考える方がすんなり腑に落ちる。
そんな異常ありきの日常が生活になってしまったわたし、そしてアヒルが、事あるごとに「なんでそーなるか?」の不可解さを一発で打ち払う常套句。
「それもこれも、あれもこれも全部、店長のせいや…」
おそらく、当の店長が「僕が絡む物事は、いつも予期せぬ事が起きる。それって、何か僕のせいかな…」と我が身の星回り、吉凶ロシアンルーレットみたいな己の業を振り返ることは死んでもないだろう。
そして、わたしたちが店長に向かって、「いやいや、そんなことないよ!君のせいだなんて、考え過ぎだよ、ただのハプニングさ」と、慰め励ますような機会は永遠にないであろう今日この頃もこれからも。
なぜなら、誰より超人的な「自ら」を持って生まれ、生き抜き、これからも生きていくであろうヤツが、ひとつ、持って生まれるのを忘れた「自ら」。
それは、他でもない。「自らを省みる」という前向きではない方の「みずから」であるからして。
店長の「予定」。それは、予期せぬことが起こる前兆。
ということで、次回の本編では、この9月、思い切って参加したNYでの展示、さらに最愛の祖父ちゃんに会いにアメリカに旅立った店長が自ら引き寄せたとしか思えない「ありえない展開」をお届けする予定です(苦笑)。